雲仙は、日本全国に分布する他の温泉地とは、一味違う変遷の仕方をしてきた。
長崎県は、鎖国状態にあった江戸時代にも、国際貿易が行われていた地域。
1823年(文政6年)には、あのドイツ人医師シーボルトが、著書によってこの雲仙温泉を紹介している。
熱湯と水蒸気を噴出し続ける、世にも不思議な「雲仙地獄」のことは、その頃から海外に紹介されていたのだ。
明治時代になると、外国人の登山客も増え始め、九州各地に在留する領事、軍人関係者、裕福なビジネスマン、宣教師などが避暑地として利用するようになった。
すると、いくつかの旅館も、建物を西洋風にしたり、障子をガラス戸に変えたりと、対応をしていった。
当時は、男女ともいっしょに入る混浴風呂が当たり前であったが、雲仙の宿では、外国人向けに「個人風呂」を造ったという逸話がある。
これぞまさに、「貸切風呂」「貸切温泉」のルーツと言えるだろう。
昔ながらの日本旅館であった「亀ノ屋旅館」も、明治26年ごろ「亀ノ屋ホテル」として、外国人に対応する洋式のホテルに生まれ変わった。
明治40年(1907年)、「新湯ホテル」は、その「亀ノ屋ホテル」を買い取って、創業。
この頃は、欧米人だけでなく、当時、衛生面で問題があり、伝染病で悩まされていた中国の上海からの旅行者(中国に駐留している欧米人)も多かったという。
雲仙は、まさにアジア一の理想郷としての地位を確立しつつあり、外国人向けの「新湯ホテル」も、そんなリゾートホテルとしての役割を果たしていた。
第二次世界大戦後、このホテルは、進駐軍に接収された時代もあったが、このように古くから外国人との繋がりがあったことが、お分かりいただけるであろう。
だからこそ、雲仙には他の九州の温泉地にはない、独自の文化があることは、当然のことなのだ。
そして、この地方のシンボル雲仙岳(普賢岳、国見岳、妙見岳の三峰と、野岳、九千部岳、矢岳、高岩山、絹笠山の五岳からなる山体の総称/最高峰の平成新山は標高1,483m)に対しては、"霊山"と人々が崇め、手つかずの自然を守ってきている。
温泉もボーリングで掘削せず、自然湧出された湯だけを使用し、資源保護にも努めている。
そして、多くの外国人を迎え入れて来たことから、歓楽街のような温泉地の雰囲気が全くなく、爽やかな休息のリゾート地であり続けている。
日本人の一泊二日の忙しい旅行ではなく、滞在型のリゾートライフを楽しむ欧米型の旅行が似合うような、独特な雰囲気が温泉街全体に今でも満ち溢れているのだ。
「新湯ホテル」の現在のオーナーは、三代目となる豊田康裕さん。
昭和22年(1947年)に、雲仙で生まれた豊田さんは、東京の慶応義塾大学法学部に入学。
昭和45年(1970年)、大学を卒業すると宿に戻り、二代目を支えながら、経営者の道を歩んでいった。
昭和49年(1974年)、すでに取締役になっていた豊田さんは、次期女将を見初める。
その女性はなんと、同じ雲仙温泉にある大型ホテル「東洋館」社長の長女、悠躬子(ゆみこ)さん。
言うならば、ライバル会社の社長令嬢である。
しかし、普段は穏やかな性格の豊田さんも、この人しかいないとばかりに猛アピール。惹かれあう二人を止める人はおらず、無事ゴールイン。
昭和61年(1986年)、豊田さんが三代目社長に就任。
昭和63年(1988年)には、すぐさま大規模な改築を行った。
その後数年の間、バブル景気と重なり、雲仙に年間90万人以上の観光客が押し寄せた。
この温泉地の人気絶頂期であった。
しかし、そんな好景気の中、突然の大災害が降りかかる。
平成2年(1990年)、雲仙普賢岳(標高1,359m)が、200年ぶりに噴火活動を始めたのだ。
翌平成3年(1991年)から平成7年(1995年)までは、大規模な火砕流により、40名以上の死者・行方不明者が発生した。
実は、その火砕流は雲仙温泉エリアには流れず、まったく被害は無かったにも関わらず、連日のように「雲仙」普賢岳で・・・と「雲仙」が強調されて被害を伝えるニュースが流れ、風評被害とも言えるように、観光客が劇的に減ってしまった。
しかし、後日、溶岩ドーム(後の「平成新山」)が形成され、見物客が大勢訪れるようになった。
普賢岳の噴火活動が収束を迎えた平成7年のこと。雲仙復興のために奮闘していた豊田社長は、気持ちを入れ替えるように、「長崎ウエスレヤン短期大学」の観光学科講師に就任する。
以降7年間、教鞭を振るったのだが、豊田社長を慕って「新湯ホテル」に就職を決めた生徒も少なくなかったという。
平成15年(2003年)には「雲仙旅館ホテル組合」の組合長、「雲仙観光協会」の副会長に就任。他にも、「国際観光旅館連盟」の理事など要職を兼任し、今も県内県外を忙しく飛び回っている。
女将の悠躬子さんは、多忙な社長に変わって、毎日のようにゲストを迎え入れている。
お花、お茶、着付けは、講師になれるほどの知識があり、日本舞踊・藤間流の名取という、日本女性の鑑のような女将さんは、調理師免許も取得している。
宿の食事に対して強いこだわりがあり、ほとんど地元の厳選した食材のみを使うようにしている。
どこの旅館もなかなか実行できないことに対して、悠躬子さんは理想を追求し、努力を怠らないように思える。
この宿のスタッフは、顔の見えない大型ホテルと違い、豊田社長と女将の悠躬子さんは、人としての魅力を基準に採用しているようだ。
例えば、外国人のお客のために、通訳の出来るスタッフもフロントにいる。TOEICで950点を獲得した実力は、プロの通訳者レベルにも匹敵するほどだ。
女性スタッフでは、砲丸投げの選手として国体に出場したという、スポーツウーマンも元気に接客している。
前述のように、大学の観光学科を主席で卒業した教え子もいる。長年この宿を支えているベテランの仲居さんたちは、みなユーモアに溢れている。
豊田社長と悠躬子さんの長女・紗英子さんも、秘書・企画広報として奮闘されている。
中規模の旅館ながら、スタッフ全員の連帯感がある。どこかアットホームな居心地の良さに、つい癒されてしまうのだ。
この宿の公式HPを見ると、様々な宿泊プランがある。オススメを一部ご紹介しよう。
最もお得感が強いのは、「スペシャルご奉仕プラン」で、以下7つもの特典が付く。
@貸切風呂50分無料サービス
Aご夕食に「きびなのから揚げ」を1品追加(大人のみ)
B締めの白ご飯を「じゃこのお茶漬け」に変更可能
C「新湯ホテル」オリジナルお菓子をお部屋に人数分(大人)ご用意
Dチェックアウトコーヒー
E色浴衣無料貸出(女性限定)
Fマッサージ&エステ20%OFF
他に、「女性の休日プラン」というレディースプランも、以下7つの特典付きだ。
@足つぼマッサージ15分
Aフランス産高級アメニティ(ポーチ付)
B客室の飲料無料
C色浴衣貸出無料
Dおしゃべりのお供、お菓子をお部屋にご用意
E貸切風呂50分無料サービス
Fチェックアウトコーヒー
・・・このように、様々な特典付きの宿泊プランが用意されていた。
公式HPでの予約で、部屋食や個室食事処が優先されるので、他の宿泊サイトを利用せず、直接予約をした方がいいだろう。
平成21年1月に運行を開始した、雲仙温泉と福岡市を片道1,000円で結ぶ直行バスは、雲仙をより身近に感じられると、大好評となっている。
9ヶ月余りで、利用者は7,500人を突破し、当初9月30日までの予定だった運行期間は、平成22年3月末まで延長となった。
それ以降も延長する可能性も充分にあるらしいので、ずっと続けていって欲しい。宿に直接電話すれば、1,000円バスの予約は可能だ。
3時間半ほどバスに揺られながら、国立公園の景色を楽しむのも、賢い選択の一つだろう。
他の温泉街とは一線を画す、温泉リゾートの歴史を持つ雲仙。
街全体に清潔感が漂い、若いカップル、小さなお子様連れのファミリー、ベテランのご夫婦まで、ゆっくりと過ごせそうな雰囲気がある。
また、欧米型の長期滞在にも最適である。湯治的な感覚で連泊するのもいいだろう。
ハイキングなどで自然と触れ合うのも楽しい。一日のんびりと湯と戯れるのもいい。
この地が、無限の可能性を秘めたリゾート地だということが、お分かりいただけるだろう。
「雲仙 新湯ホテル」は雲仙地獄のすぐ近くの絶好のロケーションに建ち、全66室といった規模のホテルではあるが、源泉100%かけ流しの貸切風呂、情緒たっぷりの客室露天風呂などあり、個人旅行に充分応えられるものが揃っている。
しかも、自然のまま、手付かずの源泉が豊富にある。雲仙一の泉質とも言われるこの宿の温泉は、他の宿が羨むほどの魅力がある。
「温泉」「施設」「食事」・・・と宿泊施設の三要素が、見事なまでにバランスよく揃っている「雲仙新湯ホテル」は、温泉宿のぬくもりと、リゾートホテルの快適さを共存させている。
このポテンシャルによって、幅広い客層に支持され、歴史を作ってきたのは確かだ。
そして、これからもずっと生き続けていく力強さを持っていると感じさせられた。(J&IZ)