標高は1,977mとさほど高い山ではないが、険しい岩壁と複雑な地形、中央分水嶺のため変化の激しい天候で知られる、日本百名山のひとつ「谷川岳」は、一ノ倉沢を始めロック・クライミングのメッカでもあり、また多くのアルピニストが挑む山だ。また、「霊峰」と崇められ、古くから信仰登山が盛んに行われていた事でも知られている。その登山基地として栄えた谷川温泉にある「水上山荘」は、この偉大な山をまるで額縁に納めてしまったかのような眺望が拝める、知る人ぞ知る山の中の温泉旅館である。
このお宿がオープンしたのはは昭和33年のこと。現存する木造の建物がその当時に建てられた部分にあたる。現社長の松本英也氏が2代目として宿に戻ったのは、昭和55年のこと。それまでは、東京の日本橋にある会社の営業マンとして働いていたので、突然異業種の世界へ飛び込んだと言っても良い。その後、試行錯誤しながら旅館の経営に携わるようになる。
昭和57年に大浴場を中心に第一期の改築を行う。現在、大浴場に使用されている「古代檜」にちなんで宿名に「檜の宿」と付けられたのはこの年のことだ。続けて、昭和61年には谷川岳の向かって右側の棟を建築。昭和63年にはパノラマビューで谷川岳が望めるロビーラウンジ「薄雪草」と、「花水木」、「萩」の2種類の露天風呂付き客室が完成した。現在の「水上山荘」である。
温泉は、男女別に大浴場が設けられている。
男性用大浴場の内湯は「古代檜風呂」、女性用大浴場には「岩風呂」と「古代檜風呂」の2つの内風呂がある。これらの湯舟には、樹齢2千年の「檜」が、更に数百年に渡って地中に埋もれていた「古代檜」が用いられている。「古代檜」には、ヒノキチオールをはじめとする健康に良いとされる成分が多く含まれているという。
また、それぞれの大浴場には露天風呂も付いている。サイズは違うものの、男性用・女性用ともに2つの湯舟が用意されている。谷川温泉の一番奥に位置するお宿なので、視線の先に広がるのは、絶景の「谷川岳」をはじめとする、上信越高原国定公園の大自然。春夏秋冬それぞれに魅力的な姿を、湯浴みをしながら楽しむことができる。
この宿の温泉は源泉100%かけ流し。それも、加水・加温せずにだ。季節によって気温等の気象条件は変化するのに、なぜこんな芸当が可能なのか不思議に思われるだろう。その秘密は、温度の違う源泉を3本持っていることが関係している。気温が変わっても、泉温の違う3本の源泉をブレンドすることにより、微妙な湯温調節が可能なのだ。また、この宿は水道の蛇口も温泉に直結している。館内で使用する水が全て温泉と言うのは贅沢他ならない。これらは「アルカリ性単純温泉」というくせのない泉質だからこそ実現できたのだ。
湯上りには、3階にあるアロマ・リラクゼーションサロン「Re-Fresh(リフレ)谷川」へ足を運ぶことをおすすめする。ここでは、ヘッド・ハンド・足裏リフレなど、アロマを用いた各種マッサージを施術してもらうことができる。営業時間が15:00〜18:00と短い点と、予約の入り具合によっては定休日になることがあるので、事前に確認することをおすすめする。
「水上山荘」には全部で17の客室あるが、タイプ別に考えるとSタイプ・Aタイプ・Bタイプ・Cタイプの4つに分けることが出来る。ここでタイプ別に客室の紹介をさせていただく。
Sタイプの客室は、2・3階に「片栗」、「花水木」、「谷川」、「桂」の4室がある。それぞれの客室には露天風呂が付いている。湯浴みを楽しみながら「谷川岳」が一望できるように設計された岩の椅子が、それぞれの湯舟に配されている。「片栗」、「花水木」、「谷川」には「寝湯」も配されており、よりリラックスした湯浴みのひと時が過ごせるだろう。「桂」は、他の露天風呂に比べ湯舟が広いので、家族連れで訪れても良いかもしれない。
間取りは、10帖の和室+客室によって調度品が異なる4.5帖の次の間だ。
Aタイプの客室は、1・4・5・6階に「萩」、「橘」、「辛夷」、「檜」の4室がある。Sタイプの客室と比較すると小さいものの、「谷川岳」が一望できる露天風呂が付いている。
間取りは、10帖の和室+客室によって調度品が異なる4.5帖の次の間だ。
Bタイプの客室は、2・4・5・6階に6室ある。4階にある客室「煌星(きらぼし)」のみ、他の部屋と雰囲気の異なる和洋室となっているものの、それ以外は10帖の和室+客室によって調度品の異なる4.5帖の次の間からなる間取りだ。このタイプの客室には内風呂が付いていない。
Cタイプの客室は、2・3階に3室。2階にある「千草」は、館内で唯一ツインベッドが配された和洋室になっている。その他の2室の間取りは、8帖の和室+3帖の次の間だ。
夕食は、予約時に「フランス料理」と「和食懐石」の二種類から選択することになる。どんな年代の宿泊客にもこのお宿が対応出来る理由の一つには、この料理も含まれているのだろう。ではここで、取材時(2008年4月)に出された夕食を、フランス料理・和食懐石ともにご紹介しよう。
フランス料理の料理長は星野正志さん。東京や高崎のフランス料理店で修行を積み、12年ほど前から「水上山荘」で働いているという。出身地は、俳優の津川雅彦さんが購入したヨーロッパの城を買い取って群馬県の吾妻郡にオープンさせたレジャー施設「ロックハート城」のすぐそばなので、地元と表現しても過言ではないだろう。
夕食にフランス料理を選択した方は、1階にあるフランス料理レストラン「葉月亭」で夕食をいただくことになる。では、「本日のメニュー」と書かれたお品書きの順に説明させていただく。
食前酒は、「クレーム・ド・カシス」と呼ばれるカシスリキュールをスパークリングワインで割った「キールロワイヤル」が出された。
アミューズは、群馬県安中市産のたらの芽を用いた洋風の天ぷら「たらの芽のベニエ」。
オードブルは、フランス産のホワイトアスパラとタスマニア産のサーモンがサニーレタス、トレビス、エンダイブ、ベビーリーフとともに盛り付けられた「ホワイトアスパラとサーモンのサラダ仕立て」。フレンチドレッシングをかけていただいた。
スープは、牛乳を泡立てて作ったカプチーノとグリーンピースを用いた「グリーンピースのカプチーノ仕立て」。
魚料理は「鰆のムニエル 春キャベツ添え」。生でも食べることの出来る鰆は、油をかけながらフライパンで焼き上げムニエルに。千葉県産の春キャベツと鹿児島産のそら豆が添えられていた。
口直しは「オレンジのグラニテ」。グラニテとはシャーベットの原型の意で、凍った状況のものを砕いただけであるが、その粗さがまた良い。宿泊客の性別によって盛り付けるグラスの色を変えてある点にも注目したい。
肉料理は「和牛フィレ肉のグリエ マデラソース」。産地は異なるものの、国産の和牛を常に使用している。取材時は北海道産の和牛フィレ肉を網焼きにし、ポルトガル産の甘口ワイン「マデラワイン」をから作られるマデラソースがかけられていた。付け合せのグリーンアスパラやエリンギ、じゃがいもなどの野菜には、群馬県産のものが多く用いられていた。
デザートは「苺のミルフィーユ」。群馬県産の苺を用い、アイスクリーマーを使わずに作った苺のアイスクリームと、カスタードとバニラビーンズを使用したクリームが挟まれたミルフィーユ。甘みと酸味がともに味わえる一品に仕上がっていた。
食後には「エスプレッソコーヒー」と自家製の「フィナンシェ」が出された。銀行員という意を持つフランス菓子の「フィナンシェ」は、本来はその名を連想させる「延べ棒」の形をしているそうだ。
一方、「和食懐石」を選択した宿泊客は、同じく1階にあるお食事処「四季亭」で夕食をいただくことになる。
「和食懐石」の料理長は、群馬県沢渡出身の田村浩文氏だ。地の旬の素材に精通しており、旬の季節になれば、山に入って山菜も採って来るという。料理のコンセプトは「既製品は決して使わず、旬の地物を多く使う」こと。月ごとに変わる料理目当てにリピートするお客さんもいるそうだ。また、お膳に置かれたお品書きは、漢字で書かれたものとひらがなだけで書かれたものがセットになっている。子供でもより食事が楽しめるように工夫している点には非常に感心した。
食前酒は甘酸っぱくおいしい「山桃酒」。あまりのおいしさにおかわりを求める宿泊客が多いという。
箸割は、独活、蕨、筍の「木の芽和え」。前菜は、蛍烏賊の沖漬け、たいら貝の貝柱を用いた「粕漬け」、黄身と砂糖と酢を練って作った黄身ずしを海老に詰め、鴛鴦(おしどり)に見立てた「海老 鴛鴦」、ゴマ豆腐の上に白魚と玉子を乗せ、ゼラチンで固めた「白魚朧流し」、笹の葉に包まれた「柚子味噌粽(ちまき)」が並んだ。添えられた桜の花の形にあしらわれた「百合根」が季節感を感じさせる。
刺身に並んだのは「鮪長手造り」、「桜鯛そぎ造り」、「甘海老」の3品。海産物は築地から鮮魚を仕入れる沼田の鮮魚店からその日その日のおすすめの品を仕入れているそうだ。
酢の物は、こごみ、うるい、菜の花、甘めの味と色が付いた寒天に、梅肉とマヨネーズを和えて作った梅ドレッシングをかけていただく「山菜サラダ」。山菜の味を決して殺さないドレッシングの味わいが見事。
煮物は蕗と海老がともに盛り付けられた「牛蒡 饅頭」。刻んだ牛蒡とすり潰したじゃがいも、砂糖と醤油で味付けした鶏肉、きくらげ、しいたけから作られた饅頭は、牛蒡の香りを引き出すために一度揚げてから蒸し上げるそうだ。
鉢肴は「鰆のナッツ焼」。西京味噌で漬けた鰆は、メレンゲを乗せた上から砕いたカシューナッツをかけて焼き上げた一品。味噌の濃厚さとナッツの香ばしさが見事に調和したお味だった。甘く煮た「プラム」と、酢取り生姜が一緒に盛り付けられていた。
揚げ物は、長芋、しめじ、なめこを湯葉で巻いて揚げたお餅のような食感の「湯葉巻き」と、地物の「たらの芽」、塩分濃度にもこだわって作ってもらっている「梅干」の3種類の品が天ぷらで出された。
台の物は「松坂牛のしゃぶしゃぶ」。ランク「5A」の松坂牛と、一緒に盛り付けられたしめじ、えのき、しいたけ、ねぎ、白菜は、「水上山荘」の温泉水を使用したしゃぶしゃぶでいただく。自家製のポン酢とゴマだれにお好みの味に仕上げて。
お食事は、その場で釜で炊き上げる「筍ご飯」と、なめこ、三つ葉、巻き麩が具材の「赤だし味噌汁」、たくあん、茄子、野沢菜の3種が並ぶ「香の物」が出された。旬を迎えつつある筍を用いた「筍ご飯」は、ほのかに甘みがあっておいしかった。
水菓子は、地元産の小豆を用いた「白玉ぜんざい」。甘さ控えめで、後を引く味わいだった。
翌朝いただく朝食も、和食と洋食から選択することができる。なお、朝食に関しては、選択に関係なく、食事処「四季亭」かレストラン「葉月亭」のいずれかでいただくことになる。
洋朝食には、牛乳、トマトジュース、オレンジジュースから選択できる食前のドリンク、ジャムとバターでいただくバターロールとクロワッサン、野菜サラダ、オムレツとベーコンエッグが選択できる玉子料理が乗ったプレート、ブルーベリージャム入りヨーグルト、ピンクグレープフルーツと赤肉のメロンが並んだ。食後は、コーヒーか紅茶が選択できる。
食前に、赤城の牧場から毎朝仕入れる濃厚な牛乳を飲み干してから、和食の朝食をいただく。地元の豆腐屋から仕入れる豆腐と「水上山荘」の温泉水を用いた「湯豆腐」、「焼鮭」、里芋、いんげん、豚角煮が入った「煮物」、「温泉玉子」、酢味噌がかけられた「刺身こんにゃく」、「とろろ芋ときゅうりの千切り」、「花豆の煮物」、「梅干」、「蕗味噌」、「香の物」などが並んだ。地元の食材を多く用いたヘルシーな朝食だった。
「水上山荘」は「上信越高原国立公園」内にあるので、温泉街に歓楽的施設はほとんど無い。そのため、館内でめいめい好きなように過ごすのが良いだろう。素晴らしい温泉での湯浴みを楽しむ方が多いだろうが、少しお酒を嗜みたかったり、グループで訪れて少し騒ぎたい方は、3階にあるカラオケスナック「つばき」を訪れると良い。または、展望ラウンジ「薄雪草」で、「谷川岳」の天然水を用いたコーヒーなどの飲み物をいただきながらゆったりとしたひと時を過ごすのもおすすめだ。なお、ここではミニコンサートが開催されることがある。開催に関しては公式ホームページ情報が載るので、参考にしてほしい。フロント正面にある「色紙コーナー」にも時間があれば行ってほしい。このコーナーには、有名人も含めこれまでに宿泊した方々からのメッセージや詩歌が数多く保存されている。その一つひとつに込められた想いを感じ取りながらそれらを読むのも深く印象に残るだろう。
チェックアウト前には、フロント横にある「売店」へ立ち寄ることをお忘れなく。様々なお土産品が取り揃えられているので、旅の思い出に購入することをおすすめしたい。人気があるのは、食べ物のお土産品。そのなかでも「きゃらぶき(\530)」、「しそ巻きりんご(\530)」、「栗さらさ(6個入り/\530・12個入り/\1,050)」は、特に人気が高いお土産品だそうだ。
上質の温泉と、館内の至る所から絶景の「谷川岳」を望めることがあってか、テレビ、雑誌などの各種メディアへの露出はもちろん、ドラマなどのロケ地として使用されることも多い。女優の浅野ゆう子さんや俳優の船越英一郎さん、役所広司さんがドラマの撮影で訪れている。また、一大ブームを巻き起こしたフジテレビ系のトレンディドラマ「東京ラブストーリー」(出演:織田裕二、鈴木保奈美、江口洋介 原作:柴門ふみ)のロケ地として有名で、同ドラマのファンの方が数多く訪れるそうだ。また、フジテレビ系で日曜日に放映されている国民的アニメ「サザエさん」でも、サザエさん一家が温泉旅行に行った際に宿泊した宿のモデルが、この「水上山荘」だった。館内には、放映時の画像も飾られている。
現在、旅館の運営は、2代目代表取締役社長の松本英也氏と常務取締役の松本知也氏が中心となって行なわれている。さらに、社長はここ最近、水上の町おこしにも携わるようになった。社長が関わる様々な取り組みの中から、特に大きなものを2つ紹介したい。
一つは、東京藝術大学とみなかみ町が提携し「芸術・文化の薫るまちづくり」を目指す「みなかみ町芸術村設立実行委員会」だ。平成19年現在、東京藝術大学卒業生・修了生の絵画等42点の作品を収蔵し、これらを町内の各所に展示。収蔵作品の数は毎年増えており、内外に「自然とアートが共存する町」をアピールしている。「水上山荘」にもこれらの作品が展示されている。
もう一つが、平成8年より開催され、今年で12年目を迎える「水上音楽祭」だ。実はこの音楽祭の開催には、中学生の頃にバイオリンの演奏をはじめ、オーケストラの中でソロを弾くという社長の夢が大きく関わっている。この話を、ある宿泊客にしたことがきっかけとなり、その夢は一気に実現へと向かう。その客とは名画と言われる「ここに泉あり」(1955年松竹 監督:今井正 出演:岸恵子ほか)のモデルとなった楽団「群馬交響楽団」に深く関係する人物だったのだ。さすがにプロの楽団の中で演奏することは不可能だったのだが、前橋にあるアマチュアの楽団「群馬シティフィルハーモニーオーケストラ」を紹介され、平成8年6月にみなかみ町内にある水上会館にて、記念すべき第一回公演が行われた。そのなかで社長は、メンデルスゾーンの曲を熱演。バイオリンを始めてから45年目にしてその夢を叶えた。一回だけのつもりで開催した音楽祭は町民からも支持され、毎年開催が行われるイベントとなった。
ロビーや客室から望む谷川岳の絶景、混じりっけ無しの源泉100%かけ流し、フレンチか和食懐石から選べる夕食、落ち着いた雰囲気の客室、自然な接客が心地いいスタッフ・・・など、この宿は魅力溢れる要素がいっぱいだ。
予算が許すなら、やはりオーナーこだわりの谷川岳ビューの露天風呂付き客室がいい。8室用意されているが、いずれも湯浴みしながら谷川岳が目の前に構える。実はここがポイントなのだ。立っている時に眺望がひらけ、湯舟に浸かると囲いか何かで目の前がふさがれるお風呂は多い。ところが「水上山荘」の客室露天風呂は違う。湯舟に浸かっても絶景なのだ。しかも湯舟の中はイス状になっており、半身浴ができ、のぼせずに飽きるまで谷川岳を眺めることができる。ぜひこの部屋を予約して、ご両親を招待して親孝行してもいい。もちろん、自分自身のご褒美やパートナーへのプレゼントにもいいはずだ。
客室数も17室。静かに本物の温泉に身を委ね、時間を気にせず、ゆったりと過ごすには、もってこいの宿とも言える。デザイナーを使っての空間の演出は無いし、今風のデザインを施した客室も無い。でも、この宿には言葉に表せないくらいの魅力が存在する。それは何かと聞かれれば、やはりこの宿の「真面目さ」なのかもしれない。そのせいか、この宿にはリピーターが多い。実際、取材時も客とスタッフ同士の「また来ました〜」「またお目にかかれて嬉しいです」との会話も聞かれた。
ここは、群馬県といっても谷川岳の麓の最奥エリア。いわゆる終着点。この先にはクルマの通れる道はない。だからこその自然がこの宿周辺には残っている。山の一軒宿の雰囲気も感じるこの宿は、郷愁を誘い、そして大自然の営みを直に感じさせてくれるはず。しかしながら、首都圏からのアクセスも良い。できれば誰にも教えたくないぐらい魅力的な温泉宿なのだ。(J/NS)