荒々しい海岸線が続くコーストライン、海上に浮かぶ小島や切り立った岩などが織り成す景勝は、西伊豆の代名詞である。
随所に現れるビーチや温泉地、また夕陽が前方の駿河湾に落ちる様子を眺められることなどから、海岸沿いに南北に走る国道136号線は人気のドライブコースとなっている。
国道136号線を南の下田方面から北上してくると、この土肥の街中で右に折れ、山道へ突入する。
海水浴場のあるビーチラインには、その駿河湾を正面に望む景観を競い合うように、大型の旅館やホテルが建ち並ぶ。
位置関係上、富士山を仰ぎ見ることはできないが、それでも駿河湾の向こう、静岡市から御前崎方面に沈む夕日を堪能できる地として広く認知されている。
空気が澄む冬の時期などにはよく、はるか南アルプス連峰を望むことも可能だ。
土肥という地は小さな漁師町であったが、室町時代の西暦1370年ごろになると金が盛んに発掘されはじめ、以来“金の街”として栄えた。
山がちな伊豆という土地柄、当時の物流は海運が主流であった。
陸運よりも大量に運ぶことが可能な船は、この新しい産業の繁栄に大きな役割を果たしたという。
生産量も佐渡に次ぐ規模で、推定産出量は、金40トン、銀400トン。隆盛を極めた江戸時代は文字通りの「黄金期」であった。
この黄金期は明治時代から昭和にかけて再び興ったが、昭和40年に枯渇のため閉鎖、以来この地は観光用に開放され、現在は往時の様子を電動の人形などで再現するテーマパーク施設となっている。
この地に湧く温泉は、やはり金山と切り離せない関係にある。
金山開発中の1611年、当地にある安楽寺境内の坑口から温泉が湧出したのが始まり(この源泉は、発見者の間部(まぶ)彦平にちなんで「まぶ湯」と名づけられている)。
山から降りてきた鉱夫たちの疲れを癒していたという。
この地において温泉街としての開発がスタートするのは、明治38年(1905年)からである。
温泉観光地としてはまだ歴史の浅い部類に入る土肥温泉ではあるが、その中で明治37年創業の最老舗旅館が、「碧き凪ぎの宿 明治館」だ。
かつて訪れた多くの著名人の足跡などから、この土肥という地の辿った歴史を見ることができる。
館内の3階、大浴場へ至る通路はギャラリーになっており、沼津に住んでいたころよく訪れていたという若山牧水の残した詠や、与謝野晶子、山岡鉄舟の残した掛け軸、谷内六郎や宮尾茂男の色紙、脚本家で詩人の花登筐(はなとこばこ)の残した詩などが展示されている。
初代館主は共同事業として私有温泉開発に成功し、この温泉宿を開業した。
創業当時は現在建つ海辺から、約1キロ山あいの馬場(ばんば)地区にあったという。
現在の土肥海水浴場前に移転したのは昭和49年のこと。
この時、屋号が「土肥グランドホテル明治館」となる。
新しくなった「明治館」は7階建て、全50室全てが駿河湾を望むオーシャンビュー。
全面に窓が取られ、抜群の眺望を楽しめる男女別大浴場は土肥で一番の大きさを持ち、男湯、女湯ともに大人50人は入れるのではないかというほど。
さらには付属して露天風呂も設けられている。
収容人数から、衛生の関係上、湯量は豊富なものの塩素消毒を施しているが、これほどの開放感を味わうことができる大浴場はそうそうないであろう。
季節にもよるが、部屋からも大浴場からも、館内の至るところから落ちる夕陽を見ることができる。
贅沢な眺望が自慢の宿として生まれ変わったのである。
だが、時代は団体旅行が主流。
団体客を意識した、コンベンションホールや大宴会場、ナイトクラブなど、大掛かりな設備も設けられた。
大人数の客が相手となるため、どうしても画一的になってしまうサービスや、手の届ききらないおもてなしが先走り、「温泉宿にあるべき『人のぬくもり』に欠け、旅館自体の没個性化を招く結果になってしまった」と、4代目にあたる勝呂克彦社長は語る。
海水浴場を目の前に、全室がオーシャンビューというこの宿最大の魅力はそのままに、往時の反省を込めて改装を施していった。
宿名も海を近くにイメージさせる「碧き凪ぎの宿 明治館」とした。
よりプライベートで温泉を楽しめるようにとの想いから、手始めに新設したのが3階にある貸切風呂。
続いて7階の最も景色の良い3客室にも、露天風呂を設けた。
日本人が最も安らぎをおぼえる畳敷きの和室に、自慢の眺望を独占するかのような客室露天風呂。
お湯は源泉100%である。
誰にも邪魔されることなく、家族や恋人、親しい人とゆっくりと過ごしたいというリクエストに応えたのがこれらの客室である。
部屋で温泉を楽しめるのは上の3室。
その他の客室としては、12帖の本間に加え、6帖ないし10帖の部屋がある特別室が3室。
広縁に面して2帖分とられた10帖の一般客室が29室。10帖間に広縁が付いた客室が8室。
12帖間に広縁が付いた客室が3室。シンプルな12帖間が2室という全50室の構成だ。
いずれも窓側に広く、くつろぎのスペースが設けられており、階数に関係なく、どの部屋からも存分にその駿河湾ビューを堪能することが可能となっている。
客室でくつろぎ、温泉で疲れを癒したら、部屋でいただく夕食である。
港をすぐ前に臨む土地柄、やはり駿河湾で獲れた魚介類が中心となっている。
山も背後に控えるということもあり、野菜類も近隣で取れたものを中心に出される。
海と山、豊富な食材を楽しめるのは土肥ならではだ。
取材時(2008年3月)のメニューは「彩り」コース。以下に紹介する。
食前酒はびわ酒。
これは知人の家で収穫されたものを、板長が自らつけているものだそうだ。
先付けのホタル烏賊、沼田葱のからし味噌がけの桜豆腐との相性もよい。
前菜は千代口五種盛り合わせとして、菜の花の辛子づけ、蛤の有馬煮、柏の明太鳴門、馬鈴薯茶巾、筏白魚干しの黄身焼。
野菜類は極力地のものを使用しているという。
小茶碗には豆乳仕立ての桜葉蒸し。
これは道明寺を桜葉で巻き、中にうなぎを入れたもの。
香り、歯応え、味わいと、一品の中にも段階的に楽しめる味わいが凝縮されている。
お刺身は、駿河湾の幸。
近海では獲れないため、あえてここではマグロを出さない。
その日に採れた新鮮な伊勢海老、地鯵、烏賊、さざえ、カンパチが華やかに盛り付けられている。
次に伊豆名物、定番の土肥産アワビの踊り焼。これを食べないと伊豆に来た気がしないというお客さんもいるというほどの品だ。
ここで箸休め。
洋皿として魚のすり身をムース状にして伸ばし、菜の花を芯に甘鯛で巻いた甘鯛春香巻が出される。
ソースにはうすい豆をうらごしにしたもので、この豆の甘みがあっさりとした鯛にからみあう。
春野菜の焚き合わせもさっぱりとしていながら、素材の味が濃厚にしみ出している。
地野菜の里芋、しいたけ、そしてお麩が入る。
お凌ぎの黒米うどんは修、善寺近くで採れる黒米を練り込んだもので、もっちりとした食感が特徴。
桜エビのかき揚げのぴりっとした塩味とよく合う。
和牛ロースの冷しゃぶはゴマダレにつけてさっぱりといただく。
重くなりがちな肉料理も、こうして軽くいただけるのは個人的にもありがたいし、魚料理の味を邪魔せずにスムーズに箸が進む。
締めには、浅利と礒菜(海苔)の入った味噌汁と、コシヒカリなどをブレンドしたご飯。
デザートはマンゴープリンにキウイと伊豆の苺「紅ほっぺ」が載せられた洋菓子と、西伊豆特産、心太(ところてん)。
和洋両方の味覚で口の中をさっぱりと。
朝食はビュッフェスタイル。
お食事処「共楽」に用意される。
鯵の開き、ダシ巻き卵、納豆、筑前煮、シウマイ、温泉玉子、きんぴら、ひじき、各種漬物などがズラリと並ぶ。
時間は7:00〜10:00。
朝の静かな駿河湾を眺めながら、のんびりといただく朝食は至福のときである。
宿を出発する前にロビー横の、地元名産品が数多く並ぶ売店に立ち寄りたい。
オススメは、客室のお茶請け菓子にもなっている「磯笛」(8個入り¥850、12個入り¥1,250)や、「出口の黒玉」飴(¥350)など。
これは勝呂社長のお気に入りで、子どもの頃よく舐めていたものだそう。のど飴とニッキ飴がある。
さらに、土肥名産の心太(¥900)、わさび漬けや青海苔、お茶など、「伊豆」を感じさせる品々ばかりのラインナップであった。
沈む夕日を正面に、客室に付く露天風呂や共同利用できる貸切風呂で親しい人とのんびりと過ごす・・・こう聞くと“おこもり宿”的な雰囲気があるような印象を持つ方もいるだろう。
もちろんそのように過ごすための用意は整っているが、実は勝呂社長の狙いはその路線にはない。
どちらかというと交流のある、人のぬくもりに満ちた宿にすることが目標だという。
自身2児のパパでもあることから、この宿で「家族のつながり」というものを再構築する手助けができれば、と願っているのだ。
当然お子様連れファミリーは大歓迎とのことで、取材時にも小さな子どもを連れた家族もよく見かけた。
同時に、長年の連れ合い同士、仲間同士で泊まりに来た高齢の方々も。
あらゆる客層に受け入れられる懐の深さは、単に施設が大きいから、広いからというものではなく、宿の醸し出す雰囲気、つまり個々のスタッフによる努力の賜物であろう。
たしかにこの宿では、大規模な旅館でしばしば目にするスタッフによる淡白な受け答えは見られず、みな自然な笑顔でいる。
宿泊客や子供と談笑する様子もよく見られた。
これは「社員教育」といったものに拠るのではなく、自発的なものであろう。
2008年の夏にはロビーと食事処「共笑」がリニューアルされた。
ロビーという、宿泊客の誰もが通る場を交流の場となるようにし、客と客、スタッフと客とが触れ合える場にしたのだという。
大宴会場を食事処にしたのも、食事を温かいまま、作りたてのものを出せるようにということから。
これら変化がもたらされても、率先して雰囲気作りに貢献するスタッフの方々の姿が目に浮かぶようだ。
勝呂社長は、毎年夏に開催される「夜光虫を見るナイトクルーズ」や、西伊豆スカイラインを利用して標高900メートルの達磨山へ行く「星空を見に行くバスツアー」など、土肥温泉発のイベントを率先して企画する、土肥温泉旅館青年部会の会長も務める。
海と山に囲まれ、温暖な気候に恵まれた土肥という街。
この地だからこそできるアクティビティーや、この地だからこそできる過ごし方がある。
「土肥という街を朝から晩まで、一日中過ごせる街にしたい。」「『やっぱり伊豆に来てよかった』と感じてもらえるような企画をこれからも考えていきたい。」などと語る目は、実に楽しそうである。
地域全体の発展を考える傍ら、自らの趣味をこのお宿に反映させていきたいとも語る。
構成も自らやっているという公式ホームページの中の、「BLOG.WAKADANNA(若旦那)」からも、彼の人となりを感じることができる。
ちなみに、70〜80年代のロックが大好きということで、1階のクラブ「紫苑」をイギリスの伝説的バンド、「QUEEN(クイーン)」をコンセプトにしたバーにするという野望があるそうだ。クイーン好き、ロック好きが夜な夜な集うバーがある旅館・・・そんな際立つ個性を持つ旅館は見たことがない。
こういった意味でも、個人的にも、是非実現していただきたいと思うのである。
さらに勝呂社長は、静岡県旅館ホテル同業組合の副部長も務めている。
旅館のオーナーでよく見られるのは、温泉街のことや観光業界などといったことは考えず、自分の宿のことだけを考えるということ。
大きな箱の中に様々な施設を作り、その中で消費活動を促す・・・。
規模の大きな旅館であるこのお宿も、建物内にはお土産コーナー、お酒の飲めるバーなどが設けられているが、だが勝呂氏の狙いはそんなところにはない。
まずは旅館が魅力を持つこと、これにより宿泊客が増える。
そしてその宿泊客が行くところ=観光地の魅力を伝える。
観光地に客が増えることで、街のその他サービス業も発展する。
街が発展すれば、街全体の宿にお客は来る。好循環の図式である。
土肥の街、伊豆という地域のこと、県のこと、そして観光業界全体のこと・・・幅広い視野の中、自身の経営する宿を捉える目線の高さを備える彼の考えは、何も格別に目新しいというわけではない。
これまで日本人の歴史の中で脈々と受け継がれてきた、人と人との関わりというものに改めて注目しているだけなのである。
基本中の基本に立ち返った宿経営こそが、これからの日本の旅館にますます求められていくことなのではないだろうか。
「碧き凪ぎの宿 明治館」の勝呂克彦社長の展望からは、今後の温泉宿と観光業界の、ひとつの方向性を見るような気がした。(eb)