今や繁盛旅館として知られるようになった「たてしな藍」だが、もちろん一朝一夕にできあがった宿ではない。
この3,500坪の敷地面積には、経営者及び家族の努力の結晶が散りばめられているのだ。
「たてしな藍」は、愛知県名古屋市で祖父が興した時計関係の精密機械工場の3代目だった社長の丹羽一之さんが、1982年(昭和57年)4月に誕生させた。
鉄鋼業の先行きへの不安を覚えながら工場を運営していたものの、「何でも良いからサービス業がやりたい」という長年の夢を諦めることができなかったという。
また、一之さんの父親が蓼科に土地を所有しており、度々訪れることがあったことで、この地に自然と愛着を覚えるようになったという。
この二つの事柄が結びつき、自分の夢が「蓼科で始められるサービス業=旅館」・・・という結論に達した後、工場を閉鎖してオープンさせたのがこのお宿なのだ。
とはいえ、素人が何も分からずに事業を始める危険さは、経営者としても理解していた。
そこでオープン前、知人のツテで紹介してもらったとある観光ホテルで、半年間無給で修行を積む。
この半年間で接客業の中でも特殊な旅館業に必要な様々な知識を吸収できたからこそ、宿をオープンさせることができたと一之さんは語ってくれた。
オープン当初は客室数全7室(すべて洋室)の小さな旅館だった。オープンから約2年間の間、スタッフは一之さんと奥さんの由磯子さん、そしてお母さんのたった3人。
それこそどんな小さな仕事でも3人で協力して行っていたそうだ。
そのせいか、自分でできることは自分でやるという精神は心に深く根付いており、現在でも、一之さん自ら食器洗いや料理出しをする時も多々あるという。

1986年(昭和61年)に現在の本館を増築し部屋数は13室に増やした。
そして、この頃、他の業務との兼ね合いもあり、由磯子さんの負担を軽減するため、外部から料理長を招いた。
1993年(平成5年)には大浴場を改装し露天風呂を造った。
1996年(平成8年)に、創業時の建物を取り壊し、新館「藍楽亭」と食事処「山味庵」を新築。これが現在の「たてしな藍」の原型となる。この時、部屋数は18室。
その後、2003年(平成15年)に貸切露天風呂をオープン。
2005年(平成17年)には、「藍」の部屋をベッドのある和洋室に改装。
そして、2008年(平成20年)3月には、念願だった露天風呂付き客室をオープンさせ、現在の姿となった。
このリニューアルを先頭にたって実行したのが、2009年に社長に就任した丹羽雄嗣さん(昭和40年生まれ)。創業者・一之さんの長男だ。
露天風呂付き客室5部屋のうち、「蘇芳」「茜」をベッドルームのある和洋室にし、間取りも広く取り、客室数も18から17に減らした。
さらに、大浴場も改装した。
ロビーもリニューアルを施し、細部まで設えにこだわった印象的な仕上がりとなっている。
家具職人に特注で作ってもらったテーブルや椅子が並んでいる。
宿の次代を担っていくことになる彼のセンスが活かされた空間を見ると、今後の成長が楽しみに思えてならない。
清々しい空気が周辺に漂うこの宿は、駐車場から玄関までのアプローチに代表されるように、花と緑に囲まれた「草庵」のような佇まい。
季節によりうつり変わる様々なシーンが、来訪する人の目を楽しませてくれる。
そして、館内に入れば、そこはかとなく醸し出す「雅」と「侘び寂び」の絶妙なバランス。
まさに大人のための「和」の宿なのだ。
そんな宿だから、各界のビッグネームも「たてしな藍」を訪れている。
俳優の中井貴一さんは、1988年の大河ドラマ「武田信玄」のクランクアップ後、来館している。
(当時は小淵沢でロケをしていた)
同じく、俳優の古谷一行さんと、降谷建志さん(Dragon Ash)も、建志さんが幼い頃、親子で来館している。
2009年10月には、王貞治さんも川上哲治さんを同行して夕食を食べに寄られた。
海外の方では、丹羽社長がファンの名古屋グランパスエイトにも所属したこともある、1986年ワールドカップ・メキシコ大会の得点王にも輝いた、ゲーリー・リネカー(イングランド)も宿泊している。
引退表明した1994年のことだ。
彼はよほど気に入ってくれたのか、日韓ワールドカップの時(2002年)も、再訪してくれたという。

「たてしな藍」へのアクセスは、その眺望の良さや、ビーナスラインなど国内屈指のドライブコースもあるため、クルマがオススメだが、そういった足のない人には、格安バスがある。
新宿からこの宿がある横谷峡まで4時間。しかも平日で1,900円。休前日でも2,400円で行けるというから驚きだ。詳しくは公式HPにリンクされているのでご覧いただきたい。
ちなみに、JRの場合は茅野駅下車だが、宿までタクシーで3,200円ほど。
この宿は源泉を豊富に所有している、かけ流しの宿ではない。
温泉を主役にしなくとも、これだけの質感とワンランク上の雰囲気を醸し出すのは、オーナーはじめスタッフの努力の賜物と言わざるを得ない。
「蓼科高原」は世間に知られているように、別荘地としても有名だ。
しかし、この地に別荘を持たなくても、この宿を知っていれば、まさに別荘代わりに利用できる。
実際にこの宿に食事だけで訪れるお客に別荘オーナーが多い。
前述の王さんもその一人。
中には、別荘を所有していても、「たてしな藍」を気に入り、ほとんどこの宿で宿泊するゲストもいるという。
これは先代社長の思い描いていた事かもしれないが、一度この快適な空間を体感してしまうと、離れがたくなる意識が出てくるようだ。
それは、やはりこの「上質なサービス」のおかげだろう。
雰囲気はイマイチながら源泉ドバドバのかけ流しの温泉宿でもなく、大きな箱のリゾートホテルでもない。
その足りない部分を補っているような施設が、この「たてしな藍」なのかもしれない。
全17室という、ちょうどいいプライバシーが保たれる規模。
本物の美味しい、カラダにもいい素材を使った料理。
洗練されたデザインを施した館内と客室。
どれをとってもハイスペックなのだ。
最近では、経営破たんしたホテルや旅館を買収し、圧倒的な低価格路線で集客している施設が、各マスコミで報道、紹介されている。
基本、食事もバイキング形式がほとんどで、第一に経営コストを重視したものとなっている。
「たてしな藍」は、それとは正反対のベクトルの宿。
スローフードの宿なのだ。
都会で忙しなく働き、動きまわっている身では、旅行に「癒し」を求める。
そこに「温泉に行った」という事実を、「癒された」という言葉に無理やり当てはめようとしている人は多いのではないだろうか。
低価格の宿に泊まって、経済的に助かったということの満足感しか実際は得られていない場合が多いのではないだろうか。
極端な例えでいえば、高級ブランドのバッグ。
安くてニセモノでもいいと思っている人がいるから、未だに売れている。
でも、実際は高くてもホンモノが欲しいのは人情ではないだろうか。
旅行にもそれが当てはまる。
どうせ行くなら「本物の宿」が絶対にいいはず。
この宿は、中高年のご夫婦、母娘などの親子、女性の小グループなど、割と年齢層が高かった客層だが、最近若い女性客も増えてきたという。
流行に敏感な彼女らも、ネットを使って情報収集している結果なのか分からないが、やはり分析すると原点回帰、「本物志向」に行き着くという事なのかもしれない。
「たてしな藍」は、記念日利用の方が多い。
それは旅館として非常に誇りに思えること。
その宿泊客の皆さんが、ここで思い出を作り、自宅にそれを持ち帰る。
―― 60歳前後のご婦人。ご主人の写真を持って、娘さんと二人でこの宿に宿泊していた。
彼女曰く「ここに来ると主人に会えるような気がするの。家だといろいろ片付けちゃって月日が経って行くのが分かるけど、ここだと時間が止まったような感じになるの。昔、いっしょに来ていた時に戻れるのよ。」
亡くなったご主人は、奥さんにいい宿をプレゼントしたな・・・と私は心でつぶやいた。(J)