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山と山の谷間、車同士がぎりぎりすれ違えるほどの細い道沿いに、温泉宿がひっそりと建ち並ぶ台温泉。
ここは、岩手県立公園の花巻温泉郷内。
岩手県で最古、1200年の歴史を持つといわれるこの温泉地は、古来よりその泉質の良さから湯治目的の方に愛されてきた。
硫黄泉の、肌に染み入るような温かさは、寒さの厳しいこの地域の住人には不可欠なものなのだろう。
この事は、温泉郷の入り口に岩手医大花巻温泉病院があり、多くの利用者がいる事からもわかる。
そんな中、重厚な木づくりの扉が異彩を放つここ「やまゆりの宿」は、鄙びた風情の温泉郷の中にあって、通りの中でもひときわ目を引く。
この扉は約400年前、明代の中国でつくられたもので、北京郊外の城壁に使用されていたものだという。
2006年5月に改装を施した際に取り寄せられたものの一つだという。
旧来あるものの良さを残しつつ、モダンな要素をふんだんに取り入れ、また和の空間に様々な国の様式を融合させた館内は、ご主人の絶妙なバランス感覚とセンスを象徴するかのようだ。
温故知新という言葉が頭をよぎる。
チェックインを済ませると、まずロビーの奥にあるラウンジの中のソファに通される。
木のぬくもりを感じさせるソファに暖色系の灯り。
ほっと一息ついたところで、お茶と手作り和菓子によるおもてなしを受ける。
流れる川の両岸、向かい合うようにして本館と、お食事処、別館が建つ構成。
ロビーから階段をのぼり2階へ行き、渡り廊下から別館に行くと、そこはお食事処の3階となる。
そのまま廊下の奥へ進み、階段を数段下りると、今度は別館の1階という具合で、ちょっとした迷路のよう。
清潔感があり、カジュアルな雰囲気にまとめ上げられた館内は、女性に人気の宿であるというのも納得がいく。
館内の随所には季節の花が生けられ、またテンポ良く置かれた民芸品の小物や絵画、茶器の数々、ちょっと腰掛けて川を眺められる和洋アンティークの椅子とコーヒーテーブルなど、全14室と小規模なお宿にもかかわらず、実に多彩な情景を提供してくれる。
全部で14室ある客室は、大きく分けて3タイプ。
まずロビーのある本館には、8、10、12畳の客室に広縁と洗面、トイレが付く和式の部屋が4室。
川をまたぐ連絡通路を渡って行く別館の2、3階には、8畳の客室に広縁にトイレと洗面、風呂が付く和室が8室。
そして、別館の1階、2006年の5月のリニューアルで誕生した特別室、隠れ家さろん「山酔庵(さんすいあん)」の2室。
すべての部屋にやまゆりの絵が飾られ、また館内案内が花巻出身の詩人であり童話作家、宮沢賢治の絵本に貼り付けられているのも面白い。
人気の半露天風呂付き客室の「山酔庵」2室は、20畳の客室内にベッドが2つと畳敷きの居間、トイレ、洗面、そして全開放式の窓を持つ半露天式の温泉風呂が付く。
他の客室や館内全体の印象に比べ、色使いも明るくモダンな要素が強い。
この部屋が特別なのは、広さと温泉風呂があるから、というだけではない。
畳コーナー前の、これまた畳敷きのベンチと可動式のテーブル、肉厚のバスローブとタオル、センサー開閉式の便座、さりげなく置かれた時代家具や絵など、ソフト面においても実にリッチな気分を味わわせてくれる仕掛けに満ちているのだ。
なお、畳敷きの居間はベッドと同じ高さに設けられており、これには視線が安定する効果があるそう。
食事も専用の個室で堪能できるため、大切な人と、誰にも邪魔されない貴重な時間を過ごすのに最適だ。
これだけの設備・サービスを備えてこの価格というのは、実にリーズナブルといえるだろう。
その他の客室は、通常の和室の造り。
前述の隠れ家さろんとは違って、落ち着きのある昔ながらの佇まい。
公式ホームページだけを見てイメージを膨らませて行けば、その新旧の差に驚きを感じるかもしれない。
その佇まいは、日本人が慣れ親しんだ温泉旅館そのもの。
落ち着きのある色合いと床の間、テレビに金庫、冷蔵庫、広縁にはソファがニ脚置かれる。
施設的に最新のものばかりを使用しているわけではないが、床の間にそっと生けられた花など随所に、洗練されたセンスを垣間見る。
大浴場は男女別にひとつずつ。
内湯のほかに露天風呂もある「かじかの湯」と、内湯だけの「寿の湯」。
この宿の駐車場に源泉が湧いているため当然のように源泉かけ流しなのだが、湧出時の温度が96度と高温なため、もったいないが水でわって適温にしている。
硫黄臭があり、特に内湯には臭いが充満するが、この臭いが嫌いでなければ、肌に染み入るように温かいこの良質のお湯で、存分に湯浴みを楽しんでいただけるだろう。
脱衣所はさほど広くはないが、地元のおばちゃんお手製のカゴがそれぞれ違うデザインで置かれていて楽しい。
ガラス扉を開けると階段、数段下がり浴場に。注目したいのは、桶や椅子がすべてヒノキ製ということ。
出来るだけ天然の素材にこだわりたいというこの宿の姿勢が、こんなところにも表れている。
男女別浴場の内風呂2つに対して露天風呂はひとつしかないが、13:00〜20:00、20:00〜8:00、8:00〜10:00という利用時間で男女入れ替えになるので、欲張りな方でも内湯も露天風呂も両方、源泉かけ流しの温泉を楽しむことが出来るのは嬉しい。
露天風呂はすだれで外からの視界を遮っているため、景色はさほど望めないが、すぐ横を流れる川のせせらぎの音に耳を澄ますのも風流だろう。
広さは5人入れるほど。
この宿の人気の要因として、囲炉裏端でいただく料理も挙げられる。
改装後に囲炉裏付きのお食事処が設けられたのだ。
個室と大部屋とあるが、これは人数に応じて割り振られる。
特別室に宿泊の場合、専用の個室囲炉裏食事処「蓬莱」か「果林」で。
囲炉裏を囲むスタイルはどこも同じだが、客室を改装した一般個室や大部屋が素朴な印象が強いのに対し、特別室用の個室はデザイン性の強さが前面に出る。
10畳ほどの広さ、正面の壁一面が照明で光る「蓬莱」と4畳半ほどの広さの隣室「果林」は、間に壁はあるものの大きく開けられた通用口があり、ほぼ同室といってもいい設え。
通用口の意匠、木の枝をそのまま活かした形状に遊び心を感じた。
食事処に案内されると、まず串で炙られる岩魚が目に入る。
囲炉裏を囲む機会などほとんどない現代人にとっては懐かしくも目新しい光景であり、また旅情緒もここで一気に高まる。
目の前で炭火に焼かれる旬の素材の数々、そしてゆらめく火を見つめていると、不思議と心が落ち着いてくるものだ。
取材時(2007年12月)のメニューを紹介する。
前菜にはイカの塩辛、自家製牛腕肉の燻製、松葉銀杏、むらさき芋のレモン煮、胡麻クリームがけ、なら茸時雨煮 、頭氷ナマス 三杯酢。どれも一品一品厨房での手作り。
かわいらしいデザインのお皿に盛り付けられ、食事気分を盛り立ててくれる。
お吸い物として、茶碗蒸しの餡かけ。
具材には鮭の白子、しろきくらげ、生麩、三つ葉、そして宿名にちなんで百合根が。
東北地方といえば濃い味付けという印象が強いが、ここでの料理はヘルシー志向もあって全体的に薄口で馴染みやすいのが特徴。
こんなところも女性に人気たる所以なのだろう。
つづくお刺身は、三陸沖で獲れた近海ものが中心。
塩釜港から直送される本マグロ、ホタテ、ウニ、ほっき貝はどれも三陸沖のもの。
この日は白牡丹海老だけが北海道ものだということ。
そうこうしていると、炭火の傍らで、岩魚や厚揚げ豆腐、椎茸と玉こんにゃくの焼けた香りが漂いだす。
熱々のうちにいただけるのも、この囲炉裏料理の魅力だ。
岩魚はシンプルに塩焼、はらわたは事前に取り出してあるのでますます食べやすい。
その他は味噌をのせて田楽に。
そして焼物のメインは、通年出される人気メニューである紫波もちもち牛の陶板焼きだ。
隣町の紫波(しわ)は、もち米生産が日本一。
その特産であるもち米を飼料に育てた牛の味を、最大限に活かす陶板で焼く。
この地方だと前沢牛がブランドとして有名だが、この紫波牛も負けず高級感ある肉質が美味。
焼けた肉はこれまたシンプルに、塩をつけていただく。
なお、この塩は“モンゴル岩塩”、3億5千年前の地層から取られたそうで、薄いピンク色をしている。
栄養価が高く、アトピーなどの疾病に効くと言われているそうだ。
ぐつぐつと目の前で音を立てる寄せ鍋は、南米アンデス原産のほろほろ鶏のガラでダシをとったあっさりスープをベースに、椎茸、車エビ、大根、春菊、まいたけ、ネギ、鮭、かまぼこ、ニンジン、生タラ、白滝、ハマグリ、穴子と盛りだくさん。
温かいものでお腹が満ちてきたところで、山菜サラダをいただく。
契約農家から産地直送、こだわりぬいた具材の大根薄切り、ニンジン、きゅうりのかつらむき、ホタテひも、ホッキに、地元の人が山で収穫し塩漬けしていたというワラビが入る。
これに特製胡麻ドレッシングを和えていただく。
〆には古代米のおにぎりとお新香を。
徹頭徹尾、素朴さと素材の良さにこだわったこの献立は、東京のホテルや湯河原の温泉宿で数年間料理修行もされていたというご主人の福島さんと、地元出身の料理長、冨手さんが相談の上決めるそう。
館内随所に見られる洗練された感性は、料理にも表れているようだ。
デザートには、好評を博しているスイーツバイキング。
本館との渡り廊下前にショーケースが置かれ、用意される数種類のスイーツの中から選ぶことができる。
食事処でもお部屋でも、そのまま廊下の椅子でも、好きなところで食べることができるのだ。
このスイーツに至っても、基本的に手作りの品。
この日は、クリスマスにちなんだシュークリームとマンゴープリン、チョコレートムースが手作りだそう。
人気はその場でスタッフがよそってくれる、フルーツあんみつ。
ただし、このサービスは期間限定なので、詳しくは事前に宿に問い合わておいた方が良いだろう。
山間の静かなこのお宿は、あえて居酒屋などのアミューズメント施設はないので、腹が満たされたら静かに過ごしたい。
ここでオススメしたいのが、本館3階にあるヒーリングコーナー。
こちらで受けられるのは、アメリカのカリフォルニア州エサレン研究所で生まれたエサレンボディワーク。
オイルマッサージの部類に入るものだが、単に身体をなでる様なものではなく、プラクティショナーとの会話を通じ、受けるこちらの“心”にまで癒しを働きかけるもの。
このボディワークを行うにはアメリカで資格認定コースを受ける必要があり、認定プラクティショナーは日本でも20人程度しかいないというハイレベルなものだそうだ。
このお宿に常駐される山下さんは以前、理学療法士として介護老人保健施設で勤務していた際、このエサレンボディワークと出会い、習得されたそう。
“癒し”というキーワードにおいて抜群の好相性を見せる温泉とマッサージ、このお宿に宿泊の際には是非、両方を経験してみたい。
全身トリートメントが80分で12,600円、ハーフが50分で8,400円、フェイス・ヒーリングが40分で6,300円、服を着たまま受けれられるリラグゼーション・タッチが40分で6,300円とコースは様々。
時間は14時から23時まで(受付は21時まで)と、チェックイン後すぐにでも受けられるが、事前に予約することをおすすめする。
定休日は水曜日。
様々な癒しを味わい、朝を迎える。
朝食は夕食同様に食事処で、これも同様、ヘルシー志向。
メニューは、温泉卵、牛肉の時雨煮、明太子、ふろふき大根、ホウレン草のおひたしにもずく、サラダ、みょうが・万能ネギ・大葉・かつお節ダシの湯豆腐、そしてカマス。囲炉裏での、炭火直焼きの味わいは他には換え難い美味しさ。
ヨーグルトにリンゴと、朝から爽やかな気分を盛り上げてくれる。
前述のスイーツバイキングの他に、冬のサービスとしては『懐かしの湯宿サービス』がある。
具体的には、湯たんぽの提供、足袋のサービス、そして囲碁・将棋・トランプ・花札・野球板・サッカーゲーム板・オセロ・人生ゲームなどテレビゲームではない、レトロなゲーム類が用意されている。
湯と食事に満たされた静かな夜には、旅の道連れとのこんな遊びもまた一興だろう。
館内のいたるところに飾られる調度品、民芸品やお皿などは、ご主人が様々なところから集めてきたもの。
例えば特別室の「おみなえし」「わすれぐさ」の看板になっているものは、バリ島の農耕具だとか。
他にも地元工芸家・陶芸家による作品であったり、江戸時代の花巻で作られた生活雑器もあるそう。
出来るだけ地元作家のものを使用するようにしているそうで、すべてハンドメイドのオリジナル品とのこと。
また、廊下その他に掛けてある絵の中には、軸を額に直したものが多く、その中には江戸時代後期の南部藩の絵師の系統のものがあるという。
前述のとおり、リニューアルされた半露天風呂付きの特別室の持つ、都会的な雰囲気と、まだリニューアルの施されていない純和風の客室と、新旧二つの顔を見せる。
現在のところ、人気があるのは特別室の2室で、予約もここから埋まることが多いそう。
だが、別館2・3階のバス付き6室は2008年に改装予定で、それぞれベッドを入れて、和洋室にするとのこと。
ますます磨かれるこの宿の魅力は、これからさらに輝いていくだろう。
ここは大事な人と過ごすにはぴったりの静かなお宿。
それだけに、温泉風呂の付かない一般客室に宿泊する場合でも、露天風呂を貸切で使用したいものである。
この至れり尽くせりのお宿に注文をつけるとすれば、宿泊客みなが利用できる貸切風呂を新設してもらいたい、ということくらいだ。
宿名に冠せられる山百合は、7月になると近くの山の斜面にその白い花を咲かせるそう。
ご主人がその清楚な美しさと、誰に見られるわけでもないけれど精一杯白い大輪を咲かせる健気さに惹かれて、平成11年に改名する際に採用したという。
誰に見られるわけでもないどころか、この花巻温泉郷でも人気のお宿だが、山間の佇まいの美しさと、ご主人はじめスタッフの真摯な、真面目すぎるほどの接客姿勢には、まさに“やまゆりの宿”という名に相応しいものを感じた。(eb)
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