「一望館」は、日本の夕陽百選にも選ばれ、山陰海岸国立公園にも指定されている夕日ヶ浦海岸から徒歩1分足らず。建物は1986年の創業時のものだが、2005年に外観と内装の一部を大幅にリニューアル。建築デザイナーの松葉啓氏デザインによる和モダンな設え、灯りを大切にした落ち着きある風情に生まれ変わった。
宿は海岸から伸びる細い路地をはさみ、南館と北館に分かれる。どちらも外観は木の枠組みにアースカラーの壁が穏やかな印象。砂利の洗い出しの床を通りレセプションのある南館へ入ると、坪庭を望む開放的なロビーに迎えられる。木の床、竹を敷き詰めた天井、様々なデザインの椅子を照らす柔らかく暖かい灯りなどと共に、親切に案内してくれる旅館スタッフのおもてなしに、旅路の疲れも癒されるだろう。
貸し出された色とりどりの浴衣をまとい、館内を行き来する宿泊客の年齢層は幅広い。20歳代の若いカップル、小さなお子様連れのファミリー、中高年のご夫婦などなど。さらには一人旅の客もちらほら。カニのシーズン(11月上旬〜3月)には、全国から客が押し寄せるが、他の季節は、主に京阪神からの客が多いとのこと。ちなみにこの宿がある網野町はプロ野球、現・楽天ゴールデンイーグルスの野村監督の出身地ということで、「阪神監督時代にはよくお客様とその故郷の話になりました」とは女将の吉岡さんの談。近くに出生地の碑もあるそうだ。
この旅館の醍醐味は、やはり真正面に夕日ヶ浦ビーチを望むことができる部屋に泊まれる事だろう。ここ夕日ヶ浦は2004年のTBS系ドラマ『砂の器』(原作・松本清張/出演・中居正広、松雪泰子、渡辺謙など)の撮影に使用され、その際の出演者もここに宿泊したという。窓辺から海を眺めていると、窓を閉めていても波の音が聞こえてくるようだ。客室は和室8畳が基本で(北館にはツインベッド付きの和洋室もある)、この景色と料理、温泉を楽しむには充分の広さだろう。
客室は全33室のうち25室が、文字どおり、夏は水平線に、冬は山の稜線に沈む夕日を一望できる(他の部屋では、庭園、瓦屋根が美しい夕日ヶ浦の街並みを"一望"できる)。和室28室、和洋室5室はそれぞれ落ち着いた雰囲気を漂わせている。日本海の荒波に何か思いを馳せるのもよし、荒波に果敢に挑むサーファーたちを目を細めて眺めるもよし、景色なんて眺めずに大切な人との時間だけを楽しむのもよし・・・様々な望みに応えてくれるだろう。
お風呂は露天風呂付きの男女別大浴場がある。男湯の露天風呂からは、立ち上がれば海を望むことができるが、湯舟に浸かりながらの海を展望することは、残念ながらできない。大きな板囲いがあるからだ。建物と海の間に生活道路がある以上、板囲いがあるのは仕方がないところか。女湯の露天風呂も男湯以上に板囲いが高く、海への眺望は不可能だ。その反面、日本海の荒い風や雪から守られ、そしてしっかりとプライバシーが確保されているので、のんびりと心ゆくまでお湯を堪能できるだろう。
自慢の料理は部屋でいただける。著名なTV料理番組の取材もしばしば受けるという、今井料理長の繊細な味付けと盛り付けが楽しめる季節の旬の料理だ。取材をしたこの季節(2007年10月)は"食の秋"ということで、実にバリエーション豊かな旬の素材を堪能した。
先付は木の子と湯葉の和え物、松茸は近場の但馬産。
前菜はむかごの真薯(しんじょ)・ロブスターの胡麻マヨ和え・からすみの絹かつぎ・くずを揚げイガグリに見立てた栗・中心にバターを巻いた干し柿・紫芋の粉をまぶし、堀りたての薩摩芋に見せたサツマイモ煮・もち粉で模ったもみじ葉、これらが秋の山さながらに食卓を彩る。
続いては旬のお造り三種、いずれも近海ものの車海老に平目、そしてインド洋のマグロからなる。どれも豊岡の中央市場で卸したものだ。
蓋物は名残鱧(ハモ)丹波蒸し。もち米でできた道明寺の上に、骨切りし軽く炙った鱧を上に乗せて蒸したもので、生麩や松茸(丹波産)、菊花、百合根、そしてワサビなどの彩りと香りが蓋を開けた瞬間に広がる。
焼物は一見サラダのような茄子田楽の吹き寄せ風。パリッとした食感の揚げナスに、サンマ、栗、松茸、海老、南瓜、インゲン、銀杏、蓮根などが賑やかに。
メインの鍋は海鮮白湯(パイタン)。鳥ガラや鰹、帆立などのダシをたっぷりと煮込んだ、その名の通り"白い湯"に、近海もののハタ、イカ、フィリピン産のロブスター、オホーツク産の帆立の片貝、そして網野町で作られたうどんと豆腐を入れて煮込む。さっぱりとした、しかし奥の深い味わいが印象的。
次は天ぷら、海老芋を芯に鱧と焼き海苔を巻いた海老芋巻き・海老天・サツマイモ・青唐。アンデスの紅塩をつけてさっぱりといただく。
蒸し物は松茸の茶碗蒸し。これも同じく但馬産の松茸、蓋を開けた時、口に含んだ時に広がるその香りはやはり格別だ。
酢物は磯蛸のカルパッチョ。近くの久美浜で取れたという貴重な磯ダコは食べれば食べるほど、かめばかむほど味わいが増す不思議な逸材。ポン酢に浸した但馬産のシメジを焼き、その他エンダイブ、ベビーリーフ、水菜、赤と黄色のパプリカ、信州リンゴ、ラディッシュ、豊岡のミニトマト、白髪ネギ、チャーヒルというハーブ、それに紫レタスを混ぜ爽やかな色合い。
ご飯はその場で炊く芳しい香りが沁みる松茸の釜飯。赤出汁のかわりにここで贅沢にも登場する土瓶蒸しの淡い味わいと香りと併せて楽しめる。
デザートは地元久美浜で収穫した梨、豊岡の巨峰と、始めから終わりまで、徹頭徹尾、旬の食材にこだわった豪華なラインナップであった。
ただちょっと、どうしても全部食べきることはできなかった。どれもこれも文句なしに美味しく、文句なしに綺麗な盛り付けなので全部食べたかった。全部食べないともったいない。そんな気分に当然なるものだが、いかんせん一般的な一人前の量をはるかに凌駕している。だがこれもこの旅館のおもてなし。旅行という非日常の時くらい、腹一杯食べて思う存分温泉に浸かって、心も身体も満たされて欲しいという気持ちの表れなのである。こちらとしては、残す勇気が試されている、ということだろうか。
冬の蟹シーズンには、「地ガニあばれ蒸しコース」と題し、刺身、あばれ蒸し、焼ガニ、カニ天ぷら、甲羅焼、カニしゃぶ鍋、カニ雑炊、カニ真蒸と、とことんカニを食べつくせるコースが用意されている。「毎年寒くなるのが楽しみ」という常連客もいるそうだ。
もしまだまだ満たされない、という方には、ロビー横に設けられた昼は喫茶、夜はバーとして営業する珈琲バーの利用をお勧めする。カウンターに座り夫婦で、カップルで、親しい友人同士で、そして一人で杯を傾けるのも旅情を豊かなものにしてくれるだろう。
腹を満たし、ぐっすり寝、帰宅の途につく前には是非おみやげ物コーナーを覘いて欲しい。グループ会社である「御菓子司あん」製造の様々な甘味が、帰宅後の良き旅の思い出になるだろう。特に、「がちゃまん」、「黒豆きんつば」などがお薦めだ。また、ここ一望館では昨年から懐かしい駄菓子コーナーも設置、特に暗くなってから燈される灯りが昭和のノスタルジアをかき立ててくれる。(EB)