熱川温泉は東伊豆を代表する温泉街である。伊豆半島の東海岸のほぼ中央に位置し、伊豆熱川駅前から海へと下ってゆく斜面には多くの旅館やホテルが立ち並んでいる。豊富な湯量に加え、温暖な気候、伊豆七島を望む景勝や海の幸に恵まれた土地柄だからなのだろう。また、各所には温泉櫓(おんせんやぐら)が林立し、もうもうと湯けむりをあげている様は壮観で、情緒豊かな街並みを楽しむことができるのだ。
開湯伝説としては「江戸城を築城した武将太田道灌が天城山の巻狩りの折りに、湯煙をあげて流れる川で怪我をいやす猿や猪の湯浴みを見て、自らも湯浴みして狩りの疲れを癒した」(お湯かけ弁財天説明板より)という説がある。
しかし、古い開湯伝説が残されているのに、不思議と以降の記述があまり残されていない。東伊豆町の主要温泉地としては、大川、北川、熱川、片瀬、白田、稲取があるが、多くは昭和に入ってからの新しい温泉地だ。江戸時代には温泉よりも築城石「伊豆石」の産出・積出地としてのほうが有名だったという。また、東伊豆への足、伊豆急が伊東から下田まで開通したのが昭和36年の暮れ、特急「踊り子」号の前身「あまぎ」号の運行開始が昭和44年なので、主な熱川温泉の発展はそれ以降になっているのではないだろうか。
「熱川温泉 粋光」は相模湾に面した山の中腹に建っている。館内に足を踏み入れフロントでチェックインを済ませると、最初に出迎えてくれるのが広々とした開放的なロビーだ。全面ガラス張りになっていて、目の前には雄大に広がる相模湾と伊豆大島の島影を望むことができる。さらに快晴の日には遠く房総半島をも眺める事ができるのだ。まずはソファに身を沈め、心ゆくまで相模湾の大パノラマを堪能しよう。
また、宿までの行程で足に疲れを感じているという方は、ロビー端にある出入口から外に出てみよう。まさに眼前に迫る太平洋を満喫しながら浸かれる「足湯」が設置されている。真ん中にはちょうど両肘を付きながら手を浸せる「手湯」も併設されているので、道中の疲れを癒すにはぴったりだ。
ロビーでこの宿のロケーションの良さを存分に味わった後は部屋への案内となる。
客室は全部で28室。もちろん全客室がオーシャンビューとなっていて、雄大な景観を楽しむことができるのだ。
露天風呂付き客室は4室。最上階にある601号室の「苅萱(かるかや)」は、和室15帖と洋室7帖に露天風呂が付く客室だ。露天風呂からは熱川温泉街を望むことはできないが、伊豆大島を一番近くに感じる事のできる部屋になっている。
408号室の「山査子(さんざし)」は、15帖の和室に広縁(イス・テーブル)、露天風呂、シャワーブース・トイレが備わる客室だ。
410号室の「連翹(れんぎょう)」も、15帖の和室に広縁(イス・テーブル)、露天風呂、シャワーブース・トイレが備わる客室。
202号室の「銭葵(ぜにあおい)」は、12帖の和室に露天風呂、シャワー・トイレが備わる客室。部屋が2階にあるので、眼下に広がる海を間近に楽しむことができる。
一般客室は次の3タイプだ。
和室13.5帖+広縁(イス・テーブル)、バス・トイレ、洗面という間取りの客室。
和室11帖+広縁(イス・テーブル)、バス・トイレ、洗面という間取りの客室。
和室10.5帖+4.5帖+広縁(イス・テーブル)、バス・トイレ、洗面という間取りの客室。
どの部屋も海を望める見晴らしを確保しているので、朝夕の海面の表情はもちろん、夜の月明かりに照らされた神秘的な景色や、漁火の浮かぶ懐かしさ漂う風景、熱川温泉街の夜景など、様々な表情の景色を楽しむことができるのが、こちらの宿の最大の特徴だろう。
相模湾に面した「粋光」は、当然海の幸豊富な料理が自慢の宿だ。なるべく地元の素材にこだわり集められた食材は、新鮮なものばかり。それらを和をベースに、様々なアプローチで料理してくれる。食事は部屋食だが、食事処も用意されていて、希望すればそちらの利用も可能だ。
2008年5月取材時にいただいたメニューを、以下に紹介しよう。
前菜は姫さざえエスカルゴ風、鱚(キス)南部焼、矢羽根蓮根、新丸十レモン煮、蓬田楽、長芋梅漬の6品が並ぶ。さざえと鱚は稲取産で、野菜は近所の農家や静岡県産の素材を使用している。
椀物は鮎魚女(あいなめ)葛打ちと新蓴菜(しんじゅんさい)と梅肉、木の芽のお吸い物が出された。
造里は伊勢海老、鮪トロ、黒むつ、雲丹(うに)、縞鯵(しまあじ)の5品。稲取、伊東、沼津からそれぞれ仕入れた新鮮な魚は、どれも身が締まり程よく脂ののった抜群の美味さだ。
焼物は鱸(すずき)と丸茄子の重ね焼。あっさりした鱸と軽く揚げられた丸茄子の濃厚さが見事にマッチした逸品である。
煮物は春大根を使った印籠煮。海老芝煮、湯葉、あやめ麩、つまみ菜を、真ん中をくり貫いた大根に詰めて煮たものを印籠煮といい、上品な出汁が素材の旨みを引き立てている美味しい一品だ。
焜炉は鮑(あわび)踊り焼。活きた鮑をその場で焼き、好みでバターとレモンを使用していただく贅沢な調理法は、やはり海が間近の伊豆ならでは。
中皿は牛タンの味噌漬。地元の伊豆牛のタンを使用し、箸で切れるほどの柔らかさに調理されている。いぶりがっこと小松菜系の野菜、スイスチャードとサラダ菜を付け合せに、マスカルポーネチーズが添えられた、洋風の一品。
蒸物は峰岡豆腐とそら豆を練りこんだ豆腐2種類を使った新緑蒸し。
止肴は貝柱と近江こんにゃく、独活、紅玉あちゃら(リンゴの酢漬け)の酢の物。彩りも鮮やかで、爽やかな酸味が口の中を洗ってくれる。
食事は蛤(はまぐり)の菜種寿司。蛤といくら、うるいを混ぜ込んだちらしで、サッパリとした味わいは、満腹気味の腹にもすんなり入ってしまう美味しさだ。さらに香の物(らっきょ、大葉とたくあん、塩コブ)と赤出汁が付く。白米が欲しい方は、仲居さんにお願いすれば用意してくれる。
デザートは東伊豆の特産、日向夏(ひゅうがなつ)のシャンパンゼリーだ。口の中に広がる爽やかな甘酸っぱさは、食事の締めにはピッタリな一品だ。
朝食は、もずく酢、金平牛蒡(きんぴらごぼう)、瓢亭玉子、蛤しぐれ煮、自家製豆乳にがり寄せ、鮪たたき、目鯛の刺身、金目鯛干物、パルマ産プロシュートのサラダに朝粥と白米、伊勢海老の味噌汁が付く。デザートは花柚子ヨーグルトとボリューム満点のメニューとなっている。
旅先での過ごし方はいくつもある。各々好きなように好きな時間を過ごすというのが、当たり前の話だが正しいわけだ。しかし、美味しい食事を堪能した後にちょっと休憩してから大浴場でひとっ風呂というのも、温泉宿での王道的な過ごし方といえるだろう。
「粋光」には2つの大浴場がある。「浜風の湯」と「加宝の湯」だ。それそれに大きな内湯と露天風呂が備わった開放的な浴室だ。
こちらの大浴場は、露天風呂はもちろんのこと、内湯からの眺望も見事だ。海側に設けられたガラス張りの窓は開閉式になっていて、窓を開ききると露天と違わぬ開放感が味わえるようになっているのだ。
また、男女の入れ替え制になっているので、両方の湯舟を楽しむことができる。入浴時間は15時から9時までとなっており、20時で男女の入れ替えが行われるシステムだ。
お風呂に行く前に一汗掻きたいという方には、「卓球場」の利用をおすすめする。予約制となっているので、フロントに声を掛けて浴衣で卓球に興じるというのも、温泉宿ならではの楽しみ方だ。
同じく館内施設のカラオケルーム「満天星」で、恋人同士、またはご夫婦でたまにはデュエットなどでちょっと羽目を外して楽しむ、なんていうのも良い旅の思い出になるのでは。
お酒を楽しみたいという方のために、クラブ「花すすき」が館内施設として用意されている。こちらはお酒好きの宿泊客はもちろん、女性客も気軽に利用できるので、飲み足りない方はこちらの利用をすすめる。
「粋光」は女性客が多い旅館である。それは絶好のロケーション、美味しい海の幸、綺麗で清潔感溢れる客室と、女性客を呼び込む要素が詰まっているからなのだろうが、こちらで体験できるエステの存在もそれらに一役買っているのは確かだろう。
充実したメニューを取り揃えた極上のリラクゼーションを体験することができるこちらのエステルームは、館内の4階にある。アロマテラピー、フェイシャル、リフレクソロジーの他、トライアルコースも用意されているので、気軽に楽しむことができるのも、魅力の一つなのだろう。せっかくこちらの宿を訪れたのなら、ぜひ一度体験してみてほしい。
宿を後にする前にぜひ立ち寄ってもらいたいのが、お土産処である。海の近くだけあって海産物が豊富に揃っていて、特に各種とり揃った干物は人気の商品だ。また、宿オリジナルの和菓子や地元の工芸品も充実しているので、ウインドウショッピング的な楽しみ方もできる。お気に入りのお土産をきっと見付け出すことができるはずだ。
宿からすぐの場所にも見所はある。温泉を利用した「熱川バナナワニ園」は有名な観光スポットだ。また、海水質が日本最高ランクにも認定された海水浴場「YOU湯ビーチ」は、海はもちろんビーチ沿いに無料で足湯が楽しめる「熱川温泉ほっとぱぁ〜く」や海面にせり出すようにして設置されている公共浴場「高磯の湯」などもあり、徒歩圏内に楽しめるスポットが点在しているのだ。
「熱川温泉 粋光」は、昭和42年に「熱川グリーンホテル」としてオープンした。当時は36部屋の規模で主に団体客向けの宿だったという。
その後、眺望の良い土地を探し求め、高級感のイメージも兼ね備えて、平成10年に現在の熱川の高台の地に「熱川グリーンホテル 粋光」が誕生した。
そして、平成20年に、さらに個人客向けに進化して「熱川温泉 粋光」と改称した。
露天風呂付き客室も含め、28部屋の規模となった。
その宿を現在運営するのは、日馬(くさま)哲也氏。昭和38年生まれの、もちろん地元出身。熱川温泉観光協会・会長、東伊豆町観光協会・副会長の役職も兼ねていて、社長業だけでなく、地域振興の旗振り役としても活躍している。
熱川温泉の主なイベントとしては、毎年7月後半に行われる海上花火大会。これは高台に位置している「粋光」は、まさに最適なロケーションと言える。しかも冷房のきいた客室からゆったりと観覧できるのだから、その日の宿泊予約の競争率は高い。
また、12月24日のクリスマスイヴイベントや、
5月下旬から6月中旬にかけてのホタル鑑賞ツアーも人気だ。
伊豆というと夏の海ばかりがイメージされがちだが、四季を通して楽しむことのできるのも、この土地ならではだ。
このような外部のお仕事にも忙しい日馬社長のパートナーである若女将の美智子さんは、元大手旅行代理店でお勤めの経験のある女性。スタッフの陣頭指揮から、施設運営の責任者として活躍している。
館内の清掃の行き届いた清潔さと、そうでありながらアットホームな雰囲気を両立させているのは、彼女の力が大きいことは間違いない。
「熱川温泉 粋光」は、時間を忘れ茫洋と広がる大海を眺められるロケーションと豊富な湯量と上等な泉質の温泉に多くの人々が引きつけられる。
しかし、当然「粋光」の魅力はそれだけではない。細やかな気遣いで、もてなしてくれる仲居さん、地の素材を活かし目と舌で楽しめる豪華な料理、心から寛ぐことので
きるオーシャンビューの客室、カップルや家族旅行にも対応した充実の館内施設など、旅行を存分に楽しむことができる要素がたっぷりと詰まっているのだ。 「高級旅館」に「リゾート」のテイストも加味しながら、敷居の高さを感じさせないリーズナブルな宿泊料金は、やはりバリュー感はある。
現在、東伊豆きっての繁盛旅館の仲間入りを果たした「熱川温泉 粋光」は、様々な客層に支持される守備範囲の広いユーティリティプレーヤーのようなもの。
温泉街の雑多な喧騒から少し歩いたところに、眺望の宿を見つけた。まさにオアシスのような宿であった。そして、海が好きな客人にとって、この眺望は最高のご馳走に違いない。(J/Hr)