ロビー横には、「ギャラリー」 があった。最近まで、「花月文庫」と呼ばれたスペースだ。
上田出身の銀行家・飯島花月氏(1863〜1931年)が収集した、江戸後期の読本作者、曲亭馬琴の作で、浮世絵師の葛飾北斎が挿絵を描いた小説「標柱 園の雪」など、江戸時代の庶民の生活風習が解る貴重な文献が保存されていた。
花月氏は、八十二銀行の創立に尽力した第十九銀行の最後の頭取。
花月氏の死後、コレクションの分散を防ぐため、昭和26〜28年頃、上田市と、「柏屋別荘」の当時の社長・齋藤房雄氏(現社長・三雄氏の父)が一部を買い取った。
その後、「柏屋別荘」は、「花月文庫」として展示していたのだ。
しかし、湿気やカビで保管に苦労していたという事と、本格的な旅館として100周年を迎える機会という事で、2009年から2010年にかけて上田市(上田図書館)に寄付する事になった。
現在は、このスペースは「ギャラリー」「談話室」と使われているが、壁一面には、著名人のサイン色紙が、所狭しと掲示されている。
以下、敬称略とさせていただく。
北原白秋、川端康成、池波正太郎、斎藤茂吉、西條八十、椋鳩十、池田満寿夫、川上宗薫、長嶋茂雄、千代の富士、加藤登紀子、山田五十鈴、山本直純、山下清、古関裕而、スパイク・リー、谷啓、宇野重吉、ジャンヌ・モロー、平幹二朗、中村梅之助、森重久弥、榎本健一、團伊玖磨、大山のぶ代、杉村春子、大島渚、三国連太郎、秋吉久美子、池内淳子、北大路欣也、菅原文太、藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐ、米倉斉加年、灰谷健次郎、左とん平、永六輔、北村和夫、林隆三、江戸家猫八、樫山文枝、犬塚弘、八千草薫、奈良岡朋子、津川雅彦、高橋英樹、伊佐山ひろ子、五所平之助・・・など錚々たる顔ぶれである。
三笠宮寛仁さまの色紙も飾られていた。
「柏屋別荘」が、各界の第一人者にどれだけ支持されたか、これを見るだけで分かる。
サインはないが、黒澤明(映画監督)、手塚治虫(漫画家)も訪れている。
最近では、バレエダンサーの熊川哲也も宿泊したという。
池波正太郎(1923〜1990年)は、戦後を代表する時代・歴史小説家で、代表作に「鬼平犯科帳」や「剣客商売」などがある。
真田一族と配下の忍者たちの活躍を描いた「真田太平記」では、別所温泉もたびたび登場している。
池波氏直筆の「柏屋別荘」社長の似顔絵もサインとともに飾られていた。
日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成(大阪府出身、1899〜1972年)の直筆の年賀状が飾られている。川端康成と言えば、「伊豆の踊り子」など伊豆のイメージが強いが、軽井沢に別荘を持つなど、信州にも縁が深い。川端がこの宿に長期滞在し、執筆した作品が「花のワルツ」だ。
北原白秋(熊本県出身、1885〜1942年)は、近代日本を代表する詩人。
歌人、童謡作家でもあり、「待ちぼうけ」など今も歌い継がれる童謡や、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野でも傑作を数多く残している。
「柏屋別荘」では、アララギ派の歌人・斎藤茂吉や、童謡詩人・西条八十(やそ)らと酒を酌み交わしたという。
斎藤茂吉(1882〜1953年)は、山形県出身の歌人で、精神科医でもある。
大正から昭和前期にかけてアララギ派の中心として活躍。次男は小説家・エッセイストの北杜夫。
生涯に全17冊の歌集を発表し、全17907首の歌を詠んだと言われている。
サインにも自作の歌が描かれている。
西條八十(1892〜1970年)は、東京出身の象徴詩で有名な詩人。
歌謡曲の作詞家としても有名になり、「東京行進曲」、「青い山脈」、村田英雄の「王将」となど、無数のヒット曲を手がけた。
「裸の大将」で有名な、画家の山下清(1922〜1971年)の絵入りサインもあった。
2007年に塚地武雅主演のテレビドラマ版では、実際に山下清本人が泊まったことがある「柏屋別荘」がロケ地になった。
ドラマ版では、旅先で絵を描き、感動を残すエピソードが多いが、実際には、実家や学園に戻ってから、様々な場所で見た風景を、驚異的な記憶力で描いていたのが殆んどだったという。
彼の日記にもそのことが触れられており、「絵を描くために歩き回っているのではなく、きれいな景色やめずらしい物を見るのが好きで歩いている。貼絵は帰ってから、ゆっくり思い出して描くことができた」と記されている。
「日本の喜劇王」と称された榎本健一(1904〜1970年)は、第二次世界大戦の前後に活躍。
暗い時代を明るく照らして“エノケン”の愛称で親しまれた。
五所平之助(1902〜1981年)は、東京都神田出身の映画監督。
日本初のトーキー映画「マダムと女房」の監督として知られ、戦前から戦後にかけて活躍した。
他に代表作は、ベルリン映画祭国際平和賞を受賞した「煙突の見える場所(主演:上原謙/田中絹代)」、「大阪の宿(主演:乙羽信子)」など。
映画監督・大島渚(1932年〜)と俳優・三國連太郎(1923年〜)の珍しい二人の連名サイン。
1961年(昭和36年)、大島渚が監督した映画「飼育(主演:ヒュー・ハード/三國連太郎)」が公開する数週間前に訪れている。
平成21年、96歳で大往生した名優・森繁久弥(1913〜2009年)のサインは、自作の歌が書されている。
映画俳優として「三等重役」「夫婦善哉(めおとぜんざい)」、「社長シリーズ」などで活躍。
ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」の主演も印象深い。
歌手としても「知床旅情」を自ら作詞・作曲・歌唱して、大ヒットさせている。
古関裕而(1909〜1989年)は、福島市出身のクラシックからポピュラーまで幅広いジャンルの作曲家。
慶応大学、早稲田大学などの応援歌のほか、東京五輪のオリンピックマーチ、読売ジャイアンツの応援歌「巨人軍の歌(闘魂こめて)」など、多くの応援歌、行進曲を手がけた。ザ・ピーナッツが歌った「モスラの歌」も彼の作。
團伊玖磨(1924〜2001年)は、日本を代表するクラシック音楽の作曲家であり、エッセイスト。
交響曲、オペラから、歌曲、映画音楽、童謡と、幅広いジャンルで活躍した。
灰谷健次郎(1934〜2006年)は、兵庫県神戸市出身の児童文学作家。
デビュー作の「兎の眼(1974年刊行)」は、日本児童文学者協会新人賞を受賞。いきなりのミリオンセラーとなり、テレビドラマや映画化もされた。ほかに代表作は「太陽の子」など。
池田満寿夫(1934〜1997年)は、版画家、画家、彫刻家、陶芸家、芥川賞作家、エッセイスト、映画監督など多彩な顔を持つ芸術家。1983年5月31日に訪れている。
ジャンヌ・モロー(1928年〜)は、フランスの女優・歌手で、昭和60年(1985年)に訪れている。
ルイ・マル、フランソワ・トリュフォー、ジャン・リュック・ゴダールなど、ヌーヴェルヴァーグ時代の監督たちの作品でたびたび主演を務めた。ピーター・ブルック監督「雨のしのび逢い」にて、ジャン=ポール・ベルモンドと共演し、カンヌ国際映画祭で主演女優賞を受賞している。
俳優・演出家の平幹二朗(1933年〜)は、昭和42年(1967年)に訪れているが、この頃はテレビ時代劇「三匹の侍」に出演中で、人気絶頂だった。その後、1970年に女優の佐久間良子と結婚したが、1984年に離婚している。最近は、大物俳優として存在感を増している。
戦前・戦後を通して時代劇映画のスターだった市川右太衛門の次男で、少年時代に銀幕デビューしている北大路欣也(1943年〜)。日本アカデミー賞では優秀主演男優賞を3度受賞。
近年、ソフトバンクモバイルのCMで、犬のお父さんの声優として若い人たちに人気となった。
女優・八千草薫(1931年〜)は、平成13年(2001年)に訪れている。映画「サトラレ」やドラマ「長崎ぶらぶら節」に出演されていた頃だ。
日活映画「激流に生きる男」で、17歳でデビューした俳優・タレントの高橋英樹(1944年〜)。
昭和41年(1966年)、鈴木清順監督「けんかえれじい」に主演した頃のサインが飾られていた。
黒人文化を世界に知らしめた映画監督、スパイク・リー(1957年〜)。彼の出世作である「マルコムX」が日本で公開された、平成5年(1993年)に宿に訪れている。

昭和を代表する国民的スーパースターで、プロ野球・巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(1936年〜)は、第一期の巨人軍監督辞任後の解説者時代に「柏屋別荘」に訪れている。ちなみに残された色紙には「洗心」と書かれているが、選手時代は「快打洗心」と書いていた。第二期の巨人軍監督勇退後は、「野球とは人生そのものだ」となった。
現役時代ウルフの愛称で大人気を誇った、第58代横綱の千代の富士(現・年寄九重)(1955年〜)は、何度もこの宿を訪れている。
今では家族同然のお付き合いということで、以前は別所温泉駅の送迎の運転手をかってでた事もあるという。乗っていたお客さんは、さぞ驚いた事だろう。
大正6年(1917年)の宿泊者名簿も展示されていた。
そこには、キリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者の内村鑑三(1861〜1930年)、東急グループ創業者の五島慶太(1882〜1959年)の名もあった。
さらに、白樺派の文豪・有島武郎(1878〜1923年)の名もあり、宿に宛てた手紙も公開されていた。
有島武郎は、後に発表した「信濃日記」で、「柏屋別荘」で過ごした時間を書いている。
後に有島は、小説家・舟橋聖一(1904〜1976年)もこの宿に連れてきている。
舟橋は、ここ「柏屋別荘」で「木石」(1938年発表)を執筆している。戦後には「花の生涯」などNHK大河ドラマの原作となった歴史小説も手がけた。
このように「柏屋別荘」の歴史を彩る貴重な品々が飾られている「ギャラリー」は、図書室や談話室としても機能している。他に絵画作品なども展示されていた。
現在の「柏屋別荘」は、古くから多くの人たちに支えられて今があるわけだが、ゲストを迎え入れる各種サービスも、大いに評判を呼んでいる。
まず、チェックインすると、ロビーでお茶とウェルカムスイーツをいただける。
取材時(2009年12月)は、南瓜の羊かんと、大根の味噌漬が出された。
そして、女性には、カラフルな浴衣を選んでいただく。20〜30種類の無料の色浴衣の他に約10種のデザイナーズブランド浴衣も(有料1,575円)ある。
部屋に通されると、温かみのある、いい香りが漂っている。
見ると、茶香炉に火が灯っていた。
これは、全室に用意されているという。
座椅子タイプの「骨盤エクササイズチェア」も、1,050円でレンタルされている。
カラダの歪みに注目したストレッチチェアで、座っているだけで、気になるウエスト〜ヒップラインをシェイプアップしてくれるという。客室でゆっくり利用ができるのがいい。
「柏屋別荘」の周辺は、まさに歴史建造物の密集地。
よくぞ、ここまでの歴史遺産が、現代まで残っていた事は奇跡とも言える。
まずは、宿から歩いて2〜3分の「北向(きたむき)観音堂」。
厄除の観音様として古くから親しまれている「北向観音」は、天長2年(825年)に創建された。
「常楽寺」背後の山が激しい鳴動を続けた時、慈覚大師が観音菩薩像を遷座供養したと伝えられている。
北斗星が暗夜の指針となるように、本尊の千手観音菩薩が“北向き”となっているのがその名の由来。
創建1400年の古刹「善光寺」が南に向いていることから、「北向観音」とのご利益は一体とされており、その一つを欠けば“片詣り”であると言われている。
その境内には、あの「愛染カツラ」がそびえ立つ。
高さ約22m、周囲約5.5m、枝張り約14m、県の天然記念物に指定され、「北向観音」の霊木としてあがめられ信仰されてきた。天長2年(825年)の大火の際、どこからともなく現れた千手観音が、このカツラの樹の上で、多くの避難民を救ったという伝説が伝わっている。
今では、男女の縁結びの霊木として、ご夫婦やカップルに親しまれている。
その他、国宝の「八角三重の塔」、重要文化財の「安楽寺」、「常楽寺」、「石造多宝塔」など、見るべきものが多い。
別所温泉は、「石湯」「大師湯」「大湯」と3つの共同浴場が存在する。
特に「石湯」は、「柏屋別荘」の隣りにあり、唐破風造りの外観が特徴。
岩の間から湯が湧き出していたことから「石湯」と呼ばれているようになったという。
池波正太郎著「真田太平記」にもたびたび登場し、若き真田幸村と向井佐平次との出会いや、女忍のお江と結ばれたのも、この浴場がモデルとなっている。
入り口には、池波正太郎氏筆の「真田幸村公 隠しの湯」という標石もあった。
観光客の人気が高いためか、衛生上の都合で、温泉かけ流しと循環を併用しているようだ。
入浴料は、大人から子どもまで、お一人様150円。
「柏屋別荘」玄関前にある、おみやげ処「くるみ」も見どころ満載だ。
この地ならではの名産品はもちろん、宿オリジナルの商品も並び、見るだけでも楽しい。
本田剛料理長手作りの「臨泉みそ」、「根生姜の佃煮」、「しょう油豆」の3点は、その中でも人気だ。
「臨泉みそ」は、そのまま白いご飯の上にのせていただいたり、このみそを利用して味噌カツソースを作ったり、鶏肉とナスの味噌炒めの味付けに使ったりと、利用範囲は広い。
時期にもよるが、お米も販売されていた。
地元・上田市下之郷の村山耕一さんが丹精込めて育てた、天日干しのコシヒカリだ。
このお米は、「柏屋別荘」の食事で使われているものと同じものだ。
「言葉酒」という日本酒があった。
これは、自分好みの瓶(アンティークボトルか透明ボトル)を選び、貯蔵タンクから日本酒をそこに注ぎ、オリジナルラベルを貼るというものだ。
白紙のラベルもあるので、自分で名前を入れることもできる。
最近注目を浴びているのは「真田紐(さなだひも)」。
名前は、戦国武将・真田幸村が、刀の下げ緒に使用していた事に由来するという。
紐といっても、織物。世界で一番幅の狭い織物とも言える。
丈夫だからこそ、茶道具の釜などの重たいものを運ぶ時などに使われている。
実用的だからこそ、大正時代くらいまでは、一般の家ではこの紐を常備していたものらしい。
今のナイロン製の梱包用の紐とは全く間逆の紐で、何度でも使える、いわゆるエコ商品なのかもしれない。
京都では、現在でも「真田紐屋」が存在するらしいが、着物の帯留を使うときの帯締めや、贈り物のリボン代わりに重宝する。
「柏屋別荘」のおみやげ処で取り扱い始めたところ、戦国武将ブームの昨今、この「真田紐」がよく売れているのは言うまでもない。
発展型で、携帯ストラップも販売されていた。
そして、ユニークなのは、「柏屋別荘」の専務・齋藤善哉さんをそのままキャラクター化したオリジナル商品。
「よしやちゃんグッズ」と呼ばれるアイテムは、手ぬぐい、巾着、携帯ストラップ、ゴルフボール、そして貯金箱と多岐に渡る。
その他、お菓子類も種類が豊富に揃っている。
部屋で提供している「そばまんじゅう」や、食事に出された佃煮の「うに椎茸」などを求めることができる。