東を渥美半島、西を知多半島に囲まれた三河湾に突き出す西浦半島に西浦温泉が開湯したのは1953年(昭和28年)のこと。名古屋から1時間ほどの愛知県蒲郡市内にもかかわらず、美しい海原が眼前に広がる奥座敷的な湯の街と称されている。比較的新しい温泉地ではあるが、実は西浦半島一帯は古くから風光明媚な場所として知られ、万葉の地として歌垣にも選ばれた地域である。高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が詠み、万葉集に収められた「いづくにか船はてすらむ安礼の埼 こぎだみ行きし棚無しの小舟」(高市連黒人作)という歌に代表されるように、多くの万葉歌人から愛され、彼らが詠んだ歌が、歌碑として温泉街に残されている。それらを巡るように整備された「万葉の小径」は、昔から変わっていない景勝を眺めつつ散策できる観光名所として人気がある。
「旬景浪漫 銀波荘」がこの地に誕生したのは1955年(昭和30年)。西浦温泉が開湯してから2年後のことである。現在こそ多くの旅館やホテルが林立し、巨大な温泉街を形成している西浦温泉であるが、当時はまだそれらの姿もまばらであった。この旅館が西浦温泉の数ある宿の中で一番海側に面しているのは、老舗であることの証と言っても過言ではないだろう。
創業初期に建てられたのは、現在の「紫雲閣(しうんかく)」と「海望閣(かいぼうかく)」。全室から三河湾のオーシャンビューが望める点と、地の海産物がふんだんに用いられる料理で、創業時より評判を呼んでいた。以降、特に東海エリアで絶大な知名度を誇る旅館となっていった。「銀波荘」の名が全国的に知られるようになったのは1966年(昭和41年)のこと。「銀波荘」の大女将が将棋の第15世名人・大山
康晴氏と旧知の知り合いであったことがきっかけとなり、この年、将棋の名人戦が開催されることになったのだ。将棋の名人戦ともなれば、新聞各紙に対戦結果とともに場所が記載されることになる。結果、多くの人が目を通すことになり、将棋ファンをはじめ、数多くの宿泊客が全国から訪れるようになった。その後も定期的に名人戦の会場として選ばれ、十六世名人・中原誠氏や十七世名人資格者・谷川浩司氏、羽生善治氏など、将棋界で一時代を築き上げた棋士が対局のために訪れている。また、館内の至る所には訪れた棋士たちの書や扇が飾られている。将棋ファンならずとも足を止め、それらの品々に目を向けたい。
そして2001年(平成13年)「天遊閣(てんゆうかく)」の全面改装に加え「海望閣」をリニューアルし、現在の姿となった。このリニューアルに合わせて、宿名に“旬景浪漫”という4文字が社長によって追加された。「四季折々に異なる表情を見せる景色だけでなく、温泉とおいしい料理をもって宿泊客をおもてなしする」強い決意を、“旬景浪漫”という言葉に込めたのだそうだ。
チェックインすると、そこには大きな窓一面から三河湾の眺望が眺められる「ラウンジ さらさ」がある。海原を往来する船や、刻一刻と変化していく自然の表情に目が奪われるだろう。
71室ある客室は、一般的な和室や和洋室の他にも露天風呂付き客室、展望内風呂付き客室、バリアフリー対応客室、露天風呂付き離れ客室などタイプも様々。主なタイプ別に紹介させていただく。
露天風呂付き離れ貴賓室「壺中庵」は1階に3室ある。その中で注目したい客室は「観月」103号室。将棋の名人戦の際には対局場として使用される客室だ。窓際に配された広縁や客室に付く露天風呂から眺める三河湾は、高層階から見下ろす眺望とは違った魅力がある。頬を撫でてゆく心地よい海風をも感じることが出来る。
「海望閣」9階には特別室として、展望風呂付き客室が3室ある。その中で注目したい客室は「夕映(ゆうばえ)」911号室。10帖の和室に応接間とツインベッドが配された豪華な客室だ。内風呂ではあるものの、三河湾を一望できるよう窓際に配された展望風呂がこの部屋の一番の特長。
「天遊閣」8階には露天風呂付き客室が5室ある。その中で注目したい客室は「816」号室である。12.5帖の和室とツインベッドが配された洋室の和洋室だ。三河湾の絶景が正面から楽しめるように配されたヒノキの露天風呂は、大人2人でもゆったりと入れる広さがある。大切な人とのひとときに最適な部屋といえよう。
「天遊閣」5・6・7階には、和室が15室、洋室が3室ある。この中で特徴的な部屋が、洋室の「520」号室と和室の「521」号室。実はこの2つの客室はコネクティングルームとなっており、玄関横にある扉から行き来することが可能となっている。「520」号室はバリアフリーになっているため車椅子のまま入室することができることから、体が不自由な方や、高齢者とともにこのお宿を訪れた際に是非おすすめしたい客室だ。
「海望閣」3〜8階には和室が30室ある。グループでの旅行から個人旅行まで対応可能な様々な間取りが用意されている。
「紫雲閣」3〜5階には和室が3室、和洋室が3室、和室+応接間の間取りの客室が3室ある。ゆったり広々した客室がお望みならば、この「紫雲閣」の客室をおすすめしたい。
なお、客室は全て三河湾の海に面するオーシャンビューとなっている。
男女別大浴場は館内に4つ。「海望閣」1階には大浴場と露天風呂が備えられた「神仙乃湯(男性用)」、「朱雀乃湯(女性用)」が、「天遊閣」3階には大浴場と露天風呂とサウナ(女性用大浴場はミストサウナ)を備えた「光彩乃湯(男性用)」、「風澄乃湯(女性用)」ある。どの大浴場も深夜24:00〜翌朝6:00以外の時間であれば入浴することが出来るので、好きな時間に思う存分湯浴みを堪能してほしい。
温泉の泉質は異なり、「神仙乃湯(男性用)」、「朱雀乃湯(女性用)」はナトリウム・カルシウム・マグネシウム-塩化物泉、「光彩乃湯(男性用)」、「風澄乃湯(女性用)」はアルカリ性単純温泉が使用されている。4つのお風呂はどれも循環の温泉ではあるが、展望貸切露天風呂も3つあるので、これも合わせて湯巡り気分で館内を動き回るのも面白い。
温泉でゆっくりした後は、「天遊閣」9階、展望貸切露天風呂の隣にある「エレガンスサロン りふれ」を訪れたい。女性限定なのは残念だが、アロマオイルマッサージやフェイシャルエステなどを受けることが出来る。営業時間は11:00〜23:00。完全予約制となっているので、興味があればチェックイン後にフロントまで。
ここで取材時(2008年2月)の夕食を紹介しよう。この日は「天遊閣」4階にある食事処、料理茶寮「万華」にていただいた。
まず始めに食前酒と先付け。食前酒は地元の酒造メーカーに特別注文している梅酒。ほのかな甘みと酸味が食欲を増進させてくれるように感じた。先付は、三河湾で揚がった海鼠(ナマコ)に紅葉卸しを添えたもの、三河湾産の天然子持ち昆布、自家製ゴマ豆腐が並んだ。
椀物は、尼鯛水前寺茶巾、梅型に飾り切りされた人参などの野菜、椎茸、菜の花に柚子が添えられた吸い物。出汁が染み込んだ尼鯛がおいしいのはもちろん、その優しい味が体中を暖めてくれた。
お造りには三河湾産の鮮魚が並ぶ。平目、中トロ、うし海老、鳥貝、虹鱒の卵を酒粕漬けにしたものと、いくらを同じ鉢に盛り付けて。いくらと虹鱒の卵の色と形はそっくりだが、食感がまるで異なる。初めて食べると驚くこと間違いないが、癖になる食感である。
焼物は三河湾で水揚げされた鰤の照り焼き。旬の素材だけあって、脂が乗っていておいしかった。
鍋物は、鮟鱇、ふぐ、ズワイガニ、海老、鳥団子、白菜、葱、春菊、人参、大根、うどんが入ったボリュームたっぷりの海鮮鍋。地元の加工会社に特別注文しているうどんは、一緒に煮込んでも煮崩れず、スルスルと胃に収まっていくと評判だ。
蒸し物は、焼き尼鯛と花びらたけ、ホウレン草の茶碗蒸し。
台の物は、三河牛を目の前で焼いていく牛肉の陶板焼き。ポン酢と薬味を添えて。脂分が少なく、肉の歯応えとその味は満足できる一品だった。
酢の物は、蟹、槍烏賊、炙り帆立、卵の黄身を湯煎して濾したものに梅肉を合わせて作られる姫酢を掛けていただいた。
止め椀は三河湾産の蜆を用いた信州味噌仕立ての味噌汁、飯物の焼きおにぎり梅茶漬けは、薬味と合わせてそのままを食べるよりも深い味わいが楽しめる、香物には、べったら漬、赤カブ、水菜が並んだ。
水菓子には、渥美半島産のマスクメロンと愛知県田原産の苺が並ぶ。程よく甘みが乗っていて非常においしかった。
お客様の要望により、ボリュームの調整にも朝食は対応してくれるそうだ。いただいたのはスタンダートな朝食。山葵の茎が乗せられたまぐろの山掛け、目の前の陶板で焼き上げていく、烏賊、カラスガレイ、太刀魚、手作り豆腐を用いた湯豆腐、生野菜を食べない人に配慮したパスタサラダ、地物の卵を用いた出汁巻き卵、ちりめんじゃこ、アサリとしいたけの佃煮、いかの塩辛、めんたいこ、金山寺と山葵の漬物(売店で販売されている)、三河湾で水揚げされたガザニ(渡り蟹)の味噌汁、白米などが並んだ。
夕食後には温泉街に繰り出すのも良いが、パブリック施設が充実しているので、館内だけでも十分楽しむことが出来るだろう。
大人数で訪れた宿泊客には、「天遊閣」9階にある最大30人でカラオケが楽しめるパーティールーム「華あかり」がおすすめ。二次会の会場としてなど館内では最適の場所だ。
少人数で訪れた宿泊客には、「海望閣」2階にあるミラーボールが輝くゴージャスなクラブ「ギャラクシー」がおすすめ。お酒を楽しみながら優雅なひとときを過ごすことができるだろう。
クラブ「ギャラクシー」に隣接する酒処「漁火」は、一品料理、ラーメン等、メニューが豊富に揃ったお店。深夜1:00まで営業しているので、もう少しお酒が飲みたい方や、小腹がすいて眠れない際に訪れると良いだろう。浴衣姿でぶらりと入れるお店である点も嬉しい。
チェックアウト前にはロビーにある土産屋「想い出処 季の小径」に忘れることなく立ち寄ってほしい。「旬景浪漫」(6個入り・\800)、「銀波まんじゅう」(12個入り・\700)、「わかめ餅」(\700)など、「銀波荘」オリジナルの銘菓が特に人気だが、そのほかにも、三河湾で水揚げされた各種海産物や、工芸品、地酒等がふんだんに用意されている。その種類の豊富さに迷ってしまいそうだが、じっくり品定めをして、店名通りに、旅の思い出を見つけてほしい。
現在「銀波荘」の陣頭指揮をとっているのは、平成18年に支配人に就任した木村元房氏である。海に面した旅館の支配人であるが、実は「森林インストラクター」の資格を取得してしまった程、根っからの山好き。
海と山は、まったく正反対のイメージがあるが、実際には切っても切れない密接な関係にある。山が豊かになれば、川の水もキレイになり、それが流れ込む海もより美しくなる。支配人の夢は「銀波荘」周辺の水系である豊川水系でこれを実践すること。おおもとである山の環境を再生し、三河湾をより美しくすることこそ、旅館の持つ最大の魅力を引き伸ばすことに直接つながるからだ。
そして、着物の似合う女将・大浦敏子さんの気さくにお客さんに話しかける姿は、どんなお客さんであろうと女将さんのファンになってしまうであろう、魅力を感じさせてくれる。
2001年(平成13年)のリニューアルに際し、社長が宿名に追加した“旬景浪漫”の4文字に込められたのは「四季折々に異なる表情を見せる景色だけでなく、温泉とおいしい料理をもって宿泊客をおもてなしする」という意味。客室数から見れば、西浦温泉の中でも規模の大きい旅館であるにもかかわらず、どんな客層でも楽しめるようにと、個室に分かれた食事処や、バリアフリー対応の客室、露天風呂付き離れ客室など、キメの細やかな配慮の行き届いた様々な仕掛けが館内に満ちている。それは、まるで小規模の小回りのきく旅館のようでもある。
三河湾の大海原を一望できるこの宿は、単純に海を眺めるだけでもこの宿を選んで良かったと感じるはずである。それも見下ろすように見渡せるその眺望は、日常では体感できないはず。だからこそ日頃の疲れやストレスを解消するには、これほどピッタリくる宿はないかもしれない。銀色に輝く波間を見ているだけで、心が和む人も多いだろう(J/NS)